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私が朝鮮半島でしたこと1928年‐1946年

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  • サイズ B6判/ページ数 198p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784794211057
  • NDC分類 510.922
  • Cコード C0036

出版社内容情報

戦時色強まる朝鮮半島で土木事業に従事した当事者が綴る、日本が戦前朝鮮で行ったことの貴重な記録。

内容説明

昭和初年、著者が見た朝鮮半島の山河はいまだ荒れ果てていた。この地を豊かな水田に改良して米の増収をはかるため、著者は朝鮮の人たちとともに各地を渡り歩いて水利工事に取り組む。貯水池を設け、水路やトンネルを掘り、道をつくり、橋を架ける。戦時色の強まるなか、鉄道工事にも手をそめる。そして、鴨緑江に橋をかけ、平安南道安州の大規模な農地開発に着手して二年後、突然の終戦。もし、あの水利事業と干拓工事が完成していたなら、現在の北朝鮮の食糧不足はかなり防ぐことができたのではなかったか・・日本が朝鮮半島でおこなった土木事業の実態を当事者が回顧した極めて貴重な記録。

目次

佐世保から京城へ
牛城水利の出面取り
京城の工科学校に学ぶ
現場代人をはじめて務める
伊川水利の大工事
嫁探しに帰郷する
赤壁橋の架設工事
朝鮮半島の生活
鉄原の荒れ地を耕地整理する
鉄道工事で大怪我を負う〔ほか〕

著者等紹介

松尾茂[マツオシゲル]
明治43(1910)年佐賀県生まれ。大川内尋常高等小学校卒後、佐世保商業専修学校卒業。昭和3(1928)年朝鮮半島に渡り、京城の合資会社中村組に入社。養父松尾梅次郎のもとで土木工事の技術を習得する。同時に京城昭和工科学校に学び卒業。以来18年間にわたって朝鮮半島全土の土木事業にたずさわる。終戦後、昭和21(1946)年7月までの安州の平南水利工事事務所で施工に協力するが完成には至らなかった。同年11月引き揚げ船で博多港上陸。昭和23年前田建設株式会社に入社、作業主任として土木事業に従事する
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感想・レビュー

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BLACK無糖好き

14
戦前・戦中18年間にわたり、朝鮮半島で土木工事に携わった日本人の回想録。米の増収をはかるための水利工事、大掛かりな橋梁工事や鉄道工事などを、現地朝鮮の人たちとともに汗を流して取り組んできた様子が淡々と綴られる。終戦後、収容所から家族らと脱走し帰国にいたるまでの過酷な道程もかなり抑制した調子で書かれている。ここにあるのは朝鮮半島での暮らしぶりと、家族のため、会社のため、従業員とその家族のため、そして地域の発展のために尽力してきた一人の男の活動の証。プロパガンダの入り込む余地は無い。2017/05/21

飯田 正就

1
朝鮮人(当時は日本人)とともに朝鮮半島の開発に従事していた日本人(内地人)の自伝。 日本人と朝鮮人が協力して朝鮮半島の近代化に尽力していたという事実が分かるし、歴史教科書や、現在の朝鮮人の主張するような『日本は朝鮮で収奪の限りを尽くした』は嘘八百であることがよく分かる。2013/07/01

inarix

1
本書を書き上げたとき、著者は91歳。敗戦後、態度が一変した朝鮮人たちに胸の悪くなるような経験もさせられたにも関わらず、ご夫婦そろって「楽しかった」と懐かしめる、あの頃の朝鮮半島に生きた普通の人々の記録。 2012/11/03

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