内容説明
愛撫する身体という人間関係の基底から出発して、原理的には愛は不可能であることを証明し、それを宗教あるいは信仰が隠蔽することによって貨幣と資本が成立するメカニズムをフーコーとウェーバーの理論を敷衍して描き出し、現代社会の危機の必然性を明らかにする大沢社会学のエッセンス。書き下ろし「サッカーと資本主義」を増補。
目次
孤独・性愛・信仰(存在論的孤独あるいは不眠;苦脳と死;コミュニケーションの基底 ほか)
貨幣の可能性と愛の不可能性(他者の余剰;単純な価値形態;成就しない愛 ほか)
主体性の変移と資本主義の精神―フーコーの向こう側(自己同一性の根拠=無根拠;可能性としての現実性;「主体化=従属化」 ほか)
増補 サッカーと資本主義
著者等紹介
大沢真幸[オオサワマサチ]
1958年、松本市生まれ。比較社会学、社会システム論。1990年、東京大学大学院社会学研究科博士課程博士号取得。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科助教授
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感想・レビュー
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ころこ
46
全く相容れないものにみえる両者に同質の関係を見出すのだが、何に準拠して判断したら良いのか、だんだん分からなくなる。愛は他者と同一になりたいという不可能(等価)な関係であった。本来は愛を結婚から遠ざける。しかし商品の間の不可能な等価関係が、それ自身関係の不可能性を実体化する貨幣の支配下によって可能なものに転換したように、愛も内在的な位置から純粋に分離された超越的な第三者の審級の視点では、愛と結婚の一致という等価関係の可能性を与えることができる。貨幣によって商品は内的な価値を有するかのように事態が構成される。2023/05/25
astrokt2
1
未レビュー2009/05/30