内容説明
食べることはなぜこれほどまでに「めんどう」なのか?食べるとは生きているもの、死んだもの、腐ったものを喰らうこと。このみもふたもない現実(自然)を覆い隠すためにひとはさまざまな工夫(文化)をこらす。レヴィ=ストロース「料理の三角形」から、食べないこと、家庭料理、「目玉焼きの食べ方」、「ヘボ(スズメバチ)追い」などまでを題材に、「食の記号論」を大展開。
目次
第1部 食の現在(食べないことの哲学 ラフスケッチ―『食べることの哲学』の余白に;「手作り」とは何か?―家庭料理のアクターネットワーク論;第1セッション「食の原点と現在」を終えて)
第2部 マンガが描く食(マンガが描く食―『目玉焼きの黄身いつつぶす?』と行為としての“食べること”)
第3部 食の両義性(「ヘボ追い」から全体討論へ;「ヘボ追い」ってなに?;全体討論 食の両義性)
第4部 記号論の諸相(モンスターに触れること―『キング・コング』における特殊効果のリアリティ;批判的常識主義に基づくパースの知覚論―直接知覚と間接知覚をつなぐ二重のアブダクション;“モニュメント”という記述方法―二〇〇〇年代のクシシュトフ・ヴォディチコ)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
たろーたん
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食べることの哲学として、最初に食べないことを考える。人間は唯一「意図的に食べない」ことが可能な生物である。もう一つ、漫画を題材にしながら「食事を作ること」「食事を食べること」を語ったのも面白かった。特に食事の受容方法、食べ方の差異やマナー、人間独自の共食の概念、と繋がっていき面白かった。普通の動物は一緒に食べないが、人間は一緒に食事をする。それゆえにマナーが出来る。しかし、このマナーがなかなかの曲者という。あと、人間の特権性、観察者の特権性、言語の特権性を失わせるアクターネットワークの考え方も面白かった。2021/11/04