内容説明
奈良時代の中頃、天然痘の流行、飢饉、藤原広嗣の乱など王権の危機に直面した聖武天皇は、各国に国分寺の建立を命じた。そして都からはるか遠く離れた武蔵国に、諸国の国分寺のなかでも最大の規模をほこる僧寺・尼寺が造営された。大伽藍の威容とその変遷を語る。
目次
第1章 「国華にふさわしい好処」に建つ(曠遠なる国の国分寺;国分寺造営の背景)
第2章 江戸時代に始まる探究(江戸時代の地誌ブーム;科学的調査の出発点)
第3章 武蔵国分寺を掘る(発掘調査が始まる;大伽藍の範囲;尼寺跡の調査;東山道武蔵路)
第4章 大伽藍の威容とその変遷(寺跡の構造;武蔵国分寺の変遷;武蔵国分寺の規模;付属諸院;武蔵国分寺の古瓦)
第5章 歴史のまち国分寺(歴史公園;僧寺跡の保存整備)
著者等紹介
福田信夫[フクダノブオ]
1951年、東京都生まれ。明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業。東京都国分寺市教育委員会で埋蔵文化財保護行政、国指定史跡武蔵国分寺跡の保存整備に携わる。現在、同教育部ふるさと文化財課課長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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rbyawa
2
e151、かつて律令制の頃、武蔵国府と対として作られた国分寺、というのは概念としてまではわかるものの、どうも地域資料を読んでいても「いつなくなったかわからない」「発掘されたのはつい最近」と言われていて全貌が掴めず、この本を手に取ったら語られているだろう、と思っていたが、新田義貞が鎌倉攻めの時に燃やし(どこを攻めてた時?!)再建する替わりに薬師堂、とか、瓦が祟るからって数百年置き去りにしてあったりと、わりとはっきり徹底して放置していた…らしい。でもこの国分寺が日本で最大だったらしいんだよなぁ、なんだろこれ。2014/05/31
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