内容説明
世紀末モダンダンス、ジャズ、連詩、野球、即興に憑かれた人々のウソとホント。文学ならではの即興の方法を描き出し、その正体に迫る。
目次
序章 即興と、そうではないもの
第1章 即興の二十一世紀―不可視なる野球、ジャンプする小島信夫
第2章 共同する即興―チャールズ・トムリンソン、連詩の順番をまちがえる!?
第3章 世紀末即興神話―サロメとモダンダンスの曲線
第4章 即興という魔物―ひとりになりたいエリオット
第5章 七〇年代の即興―村上春樹と蓮実重彦と「点(てん)」の問題
第6章 即興とアメリカ―イカルスを読むブリューゲルを読むオーデンとウィリアムズ
著者等紹介
阿部公彦[アベマサヒコ]
1966年、横浜市生まれ。東京大学文学部助教授。現代英米詩専攻。東京大学大学院修士課程修了、ケンブリッジ大学大学院博士号取得
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感想・レビュー
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Tonex
41
即興文学の書き方のハウツー本のようなタイトルだが、そうではなく、文学と即興との関係についてあちこちに書いた文章を集めて、序章とあとがきをつけたもの。具体的には、ワイルド、エリオット、小島信夫、村上春樹などの小説・詩を「即興」という観点から論じている。▼即興自体の起源は古いが、現代における即興は一種のイデオロギーであって、「技術」よりも「創造」を重んじ、「何もないところから何かを生み出す」ことを善とするアメリカ的な思想が背景にある。しかし、文学における即興には、何やらいかがわしさや嘘っぽさがつきまとう。2016/07/03
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1
<即興>に我々はなぜか特別な賛辞を送りたくなる。芸術の<その場>性、「なま」らしさ。様々な偶然性に支配された芸術、という嘘(かどうかは定かではないけれど)に強い価値を感じるのはただのイデオロギーではない。そこには支配から逃れようとする文化的根源的な問題が見え隠れする。著者の提案する「即興的なもの」は疑いようなく存在する。この本の中にあるよく「見る」こと、そして一番感じ取らなくてはならないのは文章の息づかいに他ならないというのは著者の他の著作でも変わらない一貫したことだろう。2014/03/07
ra0_0in
0
即興とは何か、という問題には、美術におけるハプニング性とか、音楽ならデレク・ベイリーとか、いろいろと参考になる先例があると思うのだが、本書は意図的にそれらへの言及を避けている。文学という一見即興性とは程遠いジャンルから考えることで、実は完全な即興などなく、ジャンルの攪拌としての演技=パフォーマンスとしての(つまり造られたものとしての)即興という概念を提出するところが非常に面白い。まぁ、即興文学というタイトルでケルアックやバロウズ、シュルレアリスト、ヘンリー・ミラーなんかが落ちているのは納得できないけれど。2012/05/05
youtom
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著者の問題意識の琴線に少しでも触れたものを雑多に取り上げてひと括りにしてみせた感じ。これは即興かっ。2011/04/09
衣魚
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色々な作家/表現者を例に挙げていて面白かった。本のタイトルに対して、最終的に今一歩踏み込み切れなかった感はあるけれど満足。入試問題つくりたい2009/12/13