出版社内容情報
1935年、小学五年生でハンセン病を発病。2年後、栗生楽泉園に入園。ひとたび印刷業を起こし社会復帰を果たすも、妻が病に倒れ社会復帰を断念。現在は駿河療養所で執筆活動を続ける著者が、療養所で生きざるを得なかった少年時代・青年時代を綴る。続編も準備中。
発刊によせて 金子満広
一 発病・栗生楽泉園へ入園
二 入園当時
三 寺子屋もどき
四 熱瘤
五 軽症者独身寮・天城舎
六 所内作業
七 苦難の始まり 昭和十六年
八 病棟看護と昭和十七年事件
九 四畳半を買い弟と住む
十 義務看護・特別看護
十一 症状の進行
十二 壮丁祝賀会
十三 看護婦の代診外科治療
十四 お骨が動く
十五 眼科医の逆治療
十六 凶兆か恵みか、笹に実がなる
十七 豚のために全員半食
十八 傷丹毒と鈴木義夫君の獄死
十九 兄戦死
あとがき
私は、沢田さんの原稿を読んで驚いた。何という記憶力。何という的確・簡潔な表現。平易なことばで、事実だけが淡々と綴られている。これこそが、深い谷底にあって星の光だけを見つめ、悲しみを突き抜けてきた人だけが示し得る、透明感なのだ。
次第に失われてゆく視力をふり絞りながら、沢田さんはこの作品の中に、何十年もの苦しみと、自分との対話の、すべてを書き切った。
私はこの本を読んで、仲間と語らい、朗読のボランティア活動を決意した。
(オビより NHK元・解説委員 小池保)
目次
発病・栗生楽泉園へ入園
入園当時
寺子屋もどき
熱瘤
軽症者独身寮・天城舎
所内作業
苦難の始まり 昭和十六年
病棟看護と昭和十七年事件
四畳半を買い弟と住む
義務看護・特別看護
症状の進行
壮丁祝賀会
看護婦の代診外科治療
お骨が動く
眼科医の逆治療
凶兆か恵みか、笹に実がなる
豚のために全員半食
傷丹毒と鈴木義夫君の獄死
兄戦死
著者等紹介
沢田二郎[サワダジロウ]
1924(大正13)年10月群馬県に生まれる。1935(昭和10)年ハンセン病を発病。1936(昭和11)年小学校停学。1937(昭和12)年10月栗生楽泉園に入園。1957(昭和32)年8月日本共産党に入党。1965、66、67、69(昭和40、41、42、44)年栗生楽泉園患者自治会々長を務める。1971(昭和46)年2月栗生楽泉園社会復帰者準備地(旧保育所)で印刷業を開業。5月一般社会人の女性と結婚。1988(昭和63)年8月社会復帰断念、山梨県身延深敬園へ転園。1989(平成元)年8月駿河療養所へ転所。現在に至る
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