内容説明
「LGBT」「セクシュアル・マイノリティ」という言葉が日本の文脈で広まっていった過程でとりこぼされてきた問題を掘り起こす試み。クィア・スタディーズの現在地を知るためのシリーズ創刊。
目次
序章 クィア・スタディーズとは何か
第1章 一九七〇年代以降の首都圏におけるレズビアン・コミュニティの形成と変容―集合的アイデンティティの意味づけ実践に着目して
第2章 クローゼットと寛容―府中青年の家裁判はなぜゲイ男性によって批判されたか
第3章 女性同性愛と男性同性愛、非対称の百年間
第4章 コミュニティを再考する―クィア・LGBT映画祭と情動の社会空間
第5章 教育実践学としてのクィア・ペダゴジーの意義
第6章 クィアとキリスト教―パトリック・S.チェンによるクィア神学の試み
第7章 怒りの炎を噴く―クィア史におけるアジア太平洋系アメリカ人のアクティヴィズムを記念して
著者等紹介
菊地夏野[キクチナツノ]
名古屋市立大学大学院人間文化研究科教員。専門は、社会学、ジェンダー/セクシュアリティ研究
堀江有里[ホリエユリ]
清泉女子大学・立教大学ほか非常勤講師。専門は、社会学、レズビアン・スタディーズ、クィア神学
飯野由里子[イイノユリコ]
東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター教員。専門は、ジェンダー/セクシュアリティ研究、ディスアビリティ研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
崩紫サロメ
15
「クィア」はもともと異性愛規範から逸脱した人々への侮蔑的な呼び方であったが、性的マイノリティの包括的な総称、またLGBTという枠組みに当てはまらない(当てはめたくない)人々に対して用いられるようになっている。そういったクィア概念について様々な角度からアプローチする入門書。男性同性愛者と女性同性愛者の非対称性、クローゼットかオープンか、クィア映画祭からみるコミュニティのあり方、パトリック・チャンのクィア神学、白人/非白人という軸から見るクィア、中国のLGBT……など様々な視点が提供されている。2021/04/28
カモメ
4
クィアは包括的な意味合いがあり、個別のセクシャリティの抱える問題を見えなくしてしまっていますが、個別に抱える諸問題を解決した後に目指すべき形なのだと思います。カテゴライズによりマジョリティ、マイノリティを生み出す事で、異性愛規範を問いただすことなくマイノリティのみを変えようと強いてしまう危険性がありますが、それを乗り越えるのもクィア概念なのだと思います。また、LGBTが経済的に利用される事の問題点の指摘が興味深かったです。2020/04/19
ぽむら
3
入門書として最適だと思う。特に序章は多様なクィアスタディズの大枠を分かりやすくまとめてある印象。イシューも割と幅広くカバーされており、ジェンダーの非対称性、資本主義や地域間格差、複合差別なども、分かりやすく、かつ良く取り込まれていて、概観出来る。より深く知りたければ、参考文献をさらに追って行けるようになっており、良書だと思う。ただし、LGBTって何?という段階の場合は、別の基礎本を読んで抑圧の感覚を掴んだ上で、本書を読むとより抑圧の構造を立体的に理解でき、適切に学びを落とし込めると思う。2019/11/26
regacian
1
クィアといった時、それはLGBTの枠から排除されるものの内包や、その枠組みの解体が含意される。本書では女性同性愛コミュニティ、アメリカで多重に抑圧される人々、信仰とSOGIが一致しない人など、LGBTの議論では不可視化されがちな点にも光をあてる。青年の家裁判に対するコミュニティからの批判への考察から、寛容という言葉・認識の持つ抑圧性まで議論する風間の章は特に面白かった。また、教育におけるSOGIの扱いから、マイノリティの可視化や啓蒙自体が当事者の外部化と排除の構造を持つことを考える渡辺の章も特に面白かった2024/08/10
xxx
1
テーマが多岐に渡っているので個人的に面白かった点をコメント ・日本のレズビアン・コミュニティの発展におけるフェミニズムと「タチ」の対立やレズビアン分離主義とバイセクシュアルの緊張について ・府中少年自然の家裁判のゲイ側からの批判→「ゲイの処世感」クローゼットの特権 ・アジア太平洋系アメリカ人クィアのアクティヴィズムについての紹介2023/01/03