内容説明
摂食障害とは何か。わたしが本当に欲しいものは、食べ物ではなかった。わたしは一体何を、食べ物にたくしているのだろうか。
目次
第1部 わたしたちには「ちから」がある(いづのストーリー;さあこのストーリー)
第2部 それぞれの回復ストーリー―七人の回復者によるインタビューから(拒食体験;出口のみえない過食地獄;変わらない生きづらさ ほか)
第3部 摂食障害アラカルト(摂食障害ってなに?;摂食障害になるとどうなるの?;摂食障害の人はどれくらいいるの? ほか)
著者等紹介
中村このゆ[ナカムラコノユ]
同志社大学文学部文化学科心理学専攻卒業。甲南大学大学院人文科学研究科応用社会学専攻修士課程修了。甲南大学大学院人文科学研究科応用社会学専攻博士後期課程修了。社会学博士・臨床心理士・摂食障害学会評議員。1998年アメリカ合衆国ヴァーモント州立大学人文科学部心理学科非常勤准教授。2000~2005年群馬大学教育学部教授。2005年岐阜聖徳学園大学教育学部教授。2006年より追手門学院大学心理学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
- 評価
京都と医療と人権の本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
カッパ
12
自分自身が摂食障害だったのかと思ったきっかけとすごく良く似ていました。当事者の話は心にしみないときとしみる時があって難しいです。でも、医療は最初から信用していませんでしたので私はかからなかったことなども思い出しました。自分がかかわっているのに信じられないというところにも自分の闇の深さを感じます。今は少しずつ良くなりました。繋がれるといいけどそれが難しい時にはこういう本も助けになりますね。2021/06/29
ybhkr
4
今までのステレオタイプの摂食障害と、それだけのカテゴリーにおさまらないパターンについて書かれていて、わたしの過食は一種の摂食障害かもなあと思った。お茶の葉とかジャムとか食べてたし。寝起きのコントロール効かない状態のときに食べられるもの全部食べてしまって二度寝して起きたら残っていると思っていたものがなくて食べ終わった袋がごみ袋にからっぽで入っていたり(ちゃんと捨ててるとこがすごい)、カップ麺とかもレンジでお湯沸かして食べられちゃうから買い置きもできなかったし、今もその傾向はある。ストイックにしすぎない、大事2015/10/14
アンパン
2
自分を欠陥人間だと思い存在自体が恥ずかしく何かが欠けていると思い自分の意見を持たず人の目を気にしていた(過適応の表現形のひとつかも)自分の人生を自分の物差しで生きるために必要だったけど10、20代を全て食べ物に費やした。診察で黙るのは聞いてほしいことがありすぎて話出したら止まらなそうで固まっていた。遮られたり否定されるのが怖かった。頑張ってきた自分をお休みしありのままの自分を生きてみる。親との葛藤もあきらめる。BNの診断にはANや拒食の後の過食は含まない(ANに含む)。フィギュアの鈴木明子も摂食障害。2020/12/27
☆こまトゥーゆ☆
2
題名のように吐いてもまっ、いっかって思うようになってた。そうする事でしか発散できない何かをそのままにしているのもよくないよな__本の中にあったように私も自分とちゃんと向き合おう。2014/11/02
田中峰和
2
拒食による栄養失調や、過食と嘔吐を繰り返す摂食障害について、当事者がこれでもかというくらい登場し語る。摂食障害に苦しむのは圧倒的に若い女性。やせて美しくなければという呪縛が強すぎる現代の日本。人並みの容姿とコミュ力を求める社会が摂食障害を多く生み出しているようだ。摂食障害の症状に苦しむ人の多くは、自己肯定感の低さが背景にあるという。本の前半は、当事者の体験記を収録。周りの人々に支えられて自尊感情を取り戻し、回復した経緯を明かしている。当事者にスポットを当てすぎているため、臨床医の存在があまりにも希薄。2014/08/05