内容説明
昭和十七年一月十一日、セレベス島メナドに日本軍として初めて落下傘降下を行なった硬骨の指揮官、堀内豊秋大佐。訓練の基礎は体操にありと、海軍体操を考案し、また占領地司令官として親しみをもって現地住民にむかえられながら、戦犯として刑場の露と消えたその生涯を描く。戦争裁判の不条理と共に綴る感動作。
目次
いひゅうもんと呼ばれて
デンマーク体操に開眼
「ゆきあし」の強い教官
メナドに天駆ける日まで
敵陣に舞う落下傘
現地の人々を友として
重巡「高雄」の副長として
本土決戦の秋
敗戦軍人に茨の道
オランダ軍事法廷に立つ
ブーゲンビリアの花
著者等紹介
上原光晴[ウエハラミツハル]
1932年12月、東京都目黒区三田に生まれる。1956年3月、中央大学仏文科を卒業し、小学館などに勤務、1961年4月朝日新聞社に入社、高知支局を振り出しに東京、大阪、西部(小倉)の三本社とその管内に勤務。1985年4月より東京本社電波報道部に勤務。1992年12月、朝日新聞社を定年退職し現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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カール
4
海軍体操の作り上げる等、体操に対して並ならぬ情熱を持った堀内豊秋大佐の生涯を描いた伝記。B級戦犯として処刑された最期を迎えたとの事で、一体どのような人物か余計気になりながら読む。エピソード1つ1つが本人の高潔さと人望厚い様子がうかがえ、戦犯として処断された人間にも様々な人間がいた事、そして東京裁判を初め戦犯を裁いた裁判がいかようなものだったのかを知るいいきっかけになった。それにしても熊本には、占領地であるインドネシア・メナドの住民を初め、部下や同期からも敬愛された軍人がいたとは全く持って知らなかった。2016/06/13
閑野水鳥
3
知られざる英雄、堀内大佐の生涯を追う一冊。こんなにも革新的で、かつ部下への思いやりに溢れた軍人がいたのか、と驚き通しの内容で、「神兵」としての誇りを貫き通した真の紳士と呼べる堀内氏だからこそ、戦後の「報復裁判」、その結末については憤りを禁じ得ない。正直、中盤以降は読み進めるのが恐ろしくなるほど、彼の誠実さと、その最期のギャップが大きく、哀しく、読み終えた時には、身内が亡くなったような寂しさとやるせなさを覚えた。しかし、だからこそ、平和な現在を生きる我々が知っておくべき「事実」なのではないか、と思った2014/01/16
黎雪
2
鹿屋の展示から辿っての読書。 地元の方であるにもかかわらず知らずに過ごしていたことが恥ずかしく思います。 報復裁判に関しては醍醐中将について書かれた本を読んだ際にも理解していたので、この方もオランダか・・・と。 このような本を読むと、かつて行われたことを知り、記憶して、次に繋いでいくことが後世に生きる私達の責任だと痛感します。 「御馬下の角小屋」として生家がが保存されているが、現地を訪問しない限り一切「堀内大佐の生家」ということは書かれず、「大名の休憩所」としか紹介されていないことに憤りを覚えます。2016/04/10