内容説明
好きなものしか撮らない夫のモデルとなり、好きなことしかしない夫を影で支え、それが幸せだった。植田正治の没後発見されたネガの束より編纂した妻を被写体とした1935‐50年代の未発表写真。
著者等紹介
植田正治[ウエダショウジ]
1913年鳥取県の現在の境港に生まれた。中学時代より写真にのめり込み、1932年に上京し3カ月間オリエンタル写真学校に通う。卒業後帰郷し19歳で営業写真館を開業する。この頃より写真雑誌の月例の常連入選者として注目される。1935年、22歳で大山近くの法勝寺町出身の19歳の白石紀枝と結婚する。女学校を卒業したての紀枝は、童謡や詩を好むロマンティックな少女であった。結婚直後から「中国写真家集団」の創立に関わるなど写真活動は一層盛んとなり、写真館は紀枝婦人の献身的な支えで運営されていた。紀枝もモデルをつとめた砂丘での演出写真は「UEDA‐CHO(植田調)」と呼ばれ、世界的に高い評価を得る。1983年に紀枝が67歳で死去。1996年、フランスより芸術文化勲章を授与される。2000年に87歳で亡くなるまでふるさとを離れることなく「アマチュア精神」を貫いた生涯であった。近年、植田正治再見の動きとともにヨーロッパ巡回の回顧展、出版物の刊行が続いている。植田正治写真美術館が鳥取県西伯郡伯耆町にある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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momogaga
48
題名がいいですね。それ以上に表紙に植田さんの妻に対する愛情が溢れています。半世紀以上前にアルバムで見た、旅行先での両親のスナップ写真を思い出しました。2019/03/26
momogaga
26
愛する家族の写真集。植田さんの写真がますます好きになりました。2017/04/15
Shoko
12
二人は結婚式の日までお互いの顔も知らずにいた。19で嫁いだ先は写真館を営なむ家。初々しく美しい植田正治夫人 紀枝さんの写真を中心に子供たちを写したもの、お馴染みの砂丘での凝った構図のものもある。そのどれもが美しくて、見入ってしまう。 芸術写真に夢中で、家業の写真館の仕事が怠りがちなご主人を支えて、写真館の仕事を切り盛りし、四人の子供たちを育てる夫人。その夫人への愛情を、ひしひしと感じられる写真。またレンズの向こう側に立つご主人を見る夫人の眼差しも、恋する女性のもので、これまたドキドキするくらい素敵。2016/05/05
tom
6
最近、気になっている植田正治の写真。本当は、ほかの有名どころの写真集を見たかったのだけど、図書館には、この本しかなかったというところで借りてきたもの。この写真集は、植田正治が亡くなった後、家の中を整理していて見つけ出したとのこと。奥さんを被写体にして、本当に楽しそうに写真を撮っていたということを感じさせる写真がたくさん。このような写真が撮れないものかと、心底、思ってしまう。2014/06/11
shamrock
5
好きなものしか撮らなかった植田正治がとりまくった奥さんの写真。ほんとに好きだったんだね。いわゆる「演出写真」では、敢えて真顔で撮られていたんだろうか。そして、数少ない笑顔の写真が、際立つ。胸に来る。珠玉の一冊だ。2013/08/28