映像という神秘と快楽―“世界”と触れ合うためのレッスン

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  • サイズ B6判/ページ数 216p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784753102143
  • NDC分類 778.04
  • Cコード C0074

内容説明

映像を「見る」という人間中心主義から離れて、映像に「触れる」ことからみえてくる狂気や神秘、快楽などの多彩な世界。

目次

第1部 写真という神秘と狂気(ベルグソン、あるいは写真としての現実;バルト、あるいは触覚的メディアとしての写真;バザン、あるいは痕跡としての写真;「人影」、あるいは写真としての原爆 ほか)
第2部 カメラという残酷と愛情(顔写真の政治学―「酒鬼薔薇聖斗」問題をめぐって;意味記憶とエピソード記憶―『記憶が失われたとき』;ドキュメンタリー映画における単独性;生命なき世界としての視覚的失認症 ほか)
第3部 映画という反復の快楽(機械的反復の魅惑としての『どですかでん』;フロイト、あるいは映画カメラとしての人間的視線;快感原則の彼岸としてのリュミエール映画;アルコール先生、あるいはチャップリンの機械恐怖症 ほか)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

gorgeanalogue

2
「なぜ自分は映画にこれほどまでに惹かれ」るのか(あとがき)という著者の信仰告白がテーマだが、それは逆説的に人間の情動的な映画への関わりではなく、映画・カメラの自働性、機械性という視点を通じてなされようとする。その姿勢は共感できるし、そこここに興味深い議論もあるのだが、全体的にはなんとなく底が浅い。どうでもいいけど誤植が多い。2019/03/24

高円寺

0
第1部と第2部は、主に「カメラの視線」が人間の視線とどのように異なるのかについて、第1部では「写真」、第2部は「映画」をもとに論じている。第3部は「映画」を「反復」という観点から論じています。貫くテーマは「人間なんかより機械の方がよっぽどすげーよ」みたいな感じ。第3部28「ドゥルーズ、あるいは世界を信じることとしての映画」は感動しました。2014/03/04

gunji_k

0
写真と映画はメディアとして、どう違うのか?我々は何を受けとめてしまうのか?をわかりやすく論じてて、とっても刺激的。リュミエール兄弟の映画がなぜ素晴らしいかを論じた章は黒沢清の新刊と共鳴。2011/05/07

yu-onore

0
めちゃくちゃ面白い。人間の認識が文化的・制度的であるがゆえに、全てを均等に映してしまうような映像の異様さがあって(視覚的無意識)、それを見ると戦慄や快楽につながるわけで。おそらくはそのような映像に眼を同化可能なのが蓮實で、すごい。そこにおいて剥き出しになるドキュメンタリーの細部やカメラの前で剥き出しになる裸体があるのだと思う(それは意味化を拒み、エピソード的に主張する)。そのような外界のカオスに反する認識には反復的な認識と削減のリズムがあって(⇄ベルクソン的な持続)2021/11/20

swingswimmer

0
カメラという媒体が世界を恣意性抜きに「ありのまま」捉えるというところから、映像の機械的性質を意思や理性を越えたところにある人間の根源的な同一性・反復性と共鳴し、それを肯定するものとして論じる一冊。一部世代論的なバイアスを感じたり、妙に蓮實重彦を擁護しているように見えたのが気になったが、全体的にはとても面白かった。反復性への希求は、映像論を越えて、人間がなぜマスゲーム的なものに惹かれるのかといったところにも応用できるように思う。宝塚歌劇やアイドルコンサートの鑑賞行動にも当てはまると感じたので、色々考えたい。2019/08/12

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