内容説明
殖産興業として日本の経済をささえた養蚕業。近代化を推進したのは大蔵官僚時代の、渋沢栄一であった。渋沢の出身地に近く、優れた養蚕方式と高く評価された群馬県の島村式蚕室の工夫、全国に伝えた養蚕教師の活躍を描く。
目次
1 江戸時代の養蚕
2 近代養蚕の原点
3 渋沢栄一と殖産興業
4 日本の蚕種家たち
5 島村式蚕室の伝播
6 養蚕伝習所と養蚕教師
著者等紹介
鈴木芳行[スズキヨシユキ]
1947年新潟県に生まれる。1974年中央大学文学部史学科国史学科卒業。1978年中央大学大学院修士課程文学研究科国史学専攻修了。現在、国税庁税務大学校税務情報センター・祖税史料室研究調査員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
22
富岡製糸場創設を主導したのは、埼玉県血洗島村(深谷市)農民の出で、日本資本主義の父、渋沢栄一(3頁)。佐藤友信『養蚕茶話』天明3(1783年)著(13頁)。中村善右衛門『蚕当計秘訣』嘉永2(1849年)著(14頁)。寒暖計を使い、火力加減が目視でき、適温調節ができることを立証。田島弥平の研鑽の決勝である総抜気窓と吹き抜け構造の二大蚕室は文久3(1862年)竣成、桑拓園と命名(28頁)。山口県による蚕糸業奨励のための養蚕と製糸の一体化は、富岡製糸場創設にもあてはまる(135頁)。 2014/10/05
rbyawa
3
e109、渋沢栄一は正直よく名前は見るもののむしろ万能すぎて元の来歴がわかりにくいところがあったんですが、ああ、これで見ると明らかに豪農の出身でもとが養蚕などにも近い家なんだねこれ。近代の養蚕のやり方など清涼育(蚕の病気を予防するための乾燥法)を提案した田島弥平・武平とも縁者みたいだし。どうも幕末以降の藩の財政を立て直す案の一つのようだったんですが、うーん、この本はほぼ研究論文みたいなもので若干結論まで至ってないかも。官製の富岡製糸場の価値と時代変遷くらいはわかったんですが養蚕の歴史だともうちょっとかな。2014/04/20
Sanchai
3
上州島村の田島弥平が、島村蚕種業発展のリーダーであったことは他の本を読んで知っていたが、全国から伝習生を受け入れて、日本の蚕糸業の発展の基盤を作ったという指摘は新鮮だった。渋沢栄一についても書かれているが、大蔵省を辞めてからの渋沢の足取りはあまりフォローされておらず、折角の渋沢と養蚕を繋げた独自性のある研究なのに、ちょっともったいない気もした。2012/02/28
nawatobi
2
産業化した江戸時代から輸出できるようになった明治と明治に誕生した養蚕教師にまつわる話。全国各地から研修生が来たのに九州や四国では盛んにならなかった(織物なら西陣へのアクセスが大切だが生糸ならそうでもない)理由がこの本では分からなかった。北海道は失敗し綿羊へシフトは分かった。2013/08/04