歴史文化ライブラリー<br> 平氏が語る源平争乱

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歴史文化ライブラリー
平氏が語る源平争乱

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  • サイズ B6判/ページ数 221p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784642058797
  • NDC分類 210.39
  • Cコード C0320

出版社内容情報

『平家物語』を中心に、富士川から壇ノ浦までを詳述。軍事制度の変遷、武人としてのあり方の違い、後白河院の関与などから描く。源義経らの活躍で源氏が勝利し、鎌倉幕府の成立史として語られる源平合戦を、敗れた平氏の視点から描くと何が見えてくるのか。『平家物語』を中心に、富士川から壇ノ浦にいたる経過を、在地勢力の動向とそれら集団のもつ性質を解き明かしつつ詳述。軍事制度の変遷、武人としてのあり方の違い、後白河院の関与、戦争目的の変化など、多方面から描く。

平氏からみた治承寿永の内乱―プロローグ/東国の喪失(勝算なき富士川の戦い〈頼朝・義仲の挙兵/儀礼となった追討使派遣/苦難の旅となった東国下向/甲斐源氏の攻勢/富士川合戦の虚実/壊走〉以下細目略/近江・美濃の消耗戦/養和元年の北陸合戦)/平氏都落ち(北陸道の喪失/七月二十五日/それぞれの都落ち)/一ノ谷合戦(西海での勢力回復/生田の森の戦い/悲劇となった浜の戦い)/屋島・壇ノ浦の合戦(山陽道の戦い/屋島の戦い/壇ノ浦の戦い)/平氏の人々が遺したものとは―エピローグ/治承寿永の内乱年表

永井 晋[ナガイ ススム]
著・文・その他

内容説明

源平合戦を敗れた平氏の視点で描くと、何が見えてくるか。『平家物語』を中心に、富士川から壇ノ浦までの経過を詳述。軍事制度の変遷、武人としてのあり方の違い、後白河院の関与、戦争目的の変化など、多方面から描く。

目次

平氏からみた治承寿永の内乱―プロローグ
東国の喪失(勝算なき富士川の戦い;近江・美濃の消耗戦 ほか)
平氏都落ち(北陸道の喪失;七月二十五日 ほか)
一ノ谷合戦(西海での勢力回復;生田の森の戦い ほか)
屋島・壇ノ浦の合戦(山陽道の戦い;屋島の戦い ほか)
平氏の人々が遺したものとは―エピローグ

著者等紹介

永井晋[ナガイススム]
1959年、群馬県に生まれる。1986年、國學院大学大学院博士課程後期中退。神奈川県立金沢文庫主任学芸員・神奈川県立歴史博物館企画普及課長を経て、関東学院大学客員教授、博士(歴史学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ようはん

21
平家の視点による源平合戦の実態。平家軍はそこまで弱くないイメージがあり、実際に水軍においては船上での間合いを取った遠矢攻撃で坂東武者を苦しめていた事が分かる。しかし富士川の戦いの事前段階で情報収集に欠け頼朝挙兵を軽く見てしまい出発の遅延や経験不足の維盛を総大将にする等、数多くの判断ミスを犯してしまっているのが痛い。その後の平家側自体は持ち直す事はあっても割と離脱者や裏切りを出しているのを考えると絶対優勢が崩れた富士川の戦い関連がターニングポイントだった印象。2020/11/03

ゆの字

5
タイトルほど平氏側の視点ではなかったけど、それぞれの戦の詳細な流れがリアリティをもって理解できた。それだけに地図が見辛かったのは残念。読み進めるうちに、押されていく平家の様子が胸に迫って辛くなってしまった。平家といえば、一門まるごと家族なイメージだったけど、分家という言葉が新鮮で、源平合戦における平家の見方が一変した。それぞれに軍を率いていたのね。それにしても、梶原景時の名前を見ただけで嫌な印象を抱いてしまうのは、永井路子の読みすぎか。2020/12/29

うしうし

4
平氏の視点に立たった治承・寿永の乱を詳述。屋島の戦いなど、平氏側が意外(?)にも善戦していることに驚いた。「再末期の平氏は、自軍の内部崩壊によって戦いに敗れていく。軍勢の指揮になれた名のある人々が潔く死にすぎたことが、平氏の軍事編成や軍勢の指揮にはかりしれない損失と」なったと総括(P196)。読んでいて、非常に面白かった。 *「北陸道で戦った通盛も、父経盛以来の雅楽の家で・・」(p194)→平通盛の父は教盛のはずであるから誤植か?2022/05/08

餅屋

4
平氏視点からみた治承寿永の内乱。以仁王の挙兵に始まる皇位継承戦争を安徳や北陸宮を抑えて後鳥羽支持派が勝利した。後白河の思惑では、平氏を滅ぼすことよりも三種の神器を確保して後鳥羽の正当性を担保することにあり、都落ち後も和平の機会は何度もあった。国衙で大動員はできるものの適切な大将軍の選定ができず、東国や北陸への追討使には分家を押出し敗北、最終的に池殿・小池殿といった分家は離脱した。三年続いた全国でなく西国の飢饉が痛かった?玉を握っているゆえか、賊軍ではなく復帰する手立てが立たずの時間切れか?(2018年)2022/02/21

onepei

4
地形図も使って詳細を語りおもしろかった。 平氏も一方的に退勢になったわけではなかった。2019/01/24

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