内容説明
「背徳と堕落の世界であり、暴力と死の世界であり、人類同胞に語るべくもない世界」とまで言われたベトナム戦争。悲惨な戦場と人間の苦しみをファインダー越しに切り取った沢田教一の眼差しは、そこに生きる人と風土に限りなく優しいものだった。報道カメラマン「世界のサワダ」の仕事と素顔を秘蔵写真で紹介。
目次
あこがれのインドシナ
戦場に何を見たか
世界のサワダめざして
著者等紹介
斉藤光政[サイトウミツマサ]
東奥日報社編集局編集委員兼論説委員。早稲田大学ジャーナリズム研究所招聘研究員。1959年岩手県生まれで青森県育ち。成城大学法学部卒。専門は基地・防衛・安全保障問題。米軍・自衛隊の調査報道で知られ、第6回平和・協同ジャーナリスト基金賞、第11回新聞労連ジャーナリスト大賞、第9回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞
沢田サタ[サワダサタ]
1925年、弘前市生まれ。1956年に米軍三沢基地内の写真店で同僚だった沢田教一と結婚。自身も20代はカメラマン志望で、沢田と撮影旅行を重ねるなど二人三脚の人生を歩む。沢田が亡くなったあとは故郷に戻り、1982年から自宅レストラン「グルメさわだ」を経営、2011年まで営業する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
シュシュ
33
戦場カメラマンと呼ばれることを嫌い、青森出身で無口なせいで誤解もされたようだが、優しい人だったのだと思う。「安全への逃避」が最初の受賞作であることが、沢田さんらしい。受賞後、写真の家族に賞金の一部を贈ったそうだ。先日テレビで、この写真の赤ちゃんだった女性が、沢田さんは優しい人だったと母から聞かされたと言っていた。危険な戦場の写真は、平和を願ってこそ撮れたのだろう。戦場以外の写真も、構図や色が秀逸で、生きてもっと写真を撮ってほしかった。34歳で戦場で命を落としたのが悔やまれる。ロバート・キャパを思いだした。2017/08/20
PEN-F
27
気まぐれな一発の弾丸が生死を左右する過酷な戦場を己の職場と決め、「闘い」「殺す」という人間の原罪を告発し続けた彼の原動力は何だったのだろう? 沢田さんは平和を願い、戦場を駆け回った。「戦争を教えるにしても、私自身が戦争を知らない。その本当の姿を分からせるのは、戦争の写真だけなのだ」。 彼の言葉が突き刺さる。2019/08/04
たまきら
20
先日彼の写真集を借りて、ベトナム側だけでなくアメリカ側を人間臭く切り取った写真に胸がきゅんとしたのだが、今回はたまたまオタマさんがいただいたアオザイ(中華服?)を着ていたので、印刷されている女性たちの美しさにひたりながら娘と眺めました。他の国に過干渉すること、そして踏み越えてしまった境界から戻ることの難しさ。でもおばちゃん、どの人にも母親がいるんだよなあ…と思いながら眺めることしかできないのよ、オカンになってしまったから。2017/09/17
しーふぉ
14
戦場カメラマンと呼ばれることを嫌った沢田教一。しかし、モノクロの戦場の写真は緊迫感と一瞬の和やかな表情を写し素晴らしい。また、それ以外の日常を写した写真も大好きになった。蕪島のウミネコが一斉に飛び立つ写真にも目を奪われた。2015/11/28
勝浩1958
10
巻頭には、昨年タイからの帰途眼下に拡がるメコン川の50年前の流れがあった。そして、モノクロによる戦場写真は目を覆いたくなる作品もあるが、やはり私を惹きつけて離さない。1966年度ピュリツアー賞受賞「安全への逃避」は、一人の母親は必死の形相で、左腕に何が起こっているのか分かりようがないまだ本当に幼いわが子を抱え、もう一人の母親も恐怖におののく子を抱きながら沢田教一氏の方を睨んでいる。その後ろには不安な目で同じく沢田氏をみつめる男の子がいる。 2015/08/01
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