出版社内容情報
「1978年8月18日
彼女が臥せっていて、そこで亡くなり、いまはわたしが寝起きをしている部屋のその場所。彼女のベッドの頭部をくっつけてあった壁に、イコンを置いた--信仰からではない--。そこのテーブルの上には、いつも花をかざってある。それゆえに、もう旅をしたくなくなっている。そこにいられるように、けっして花をしおれさせたりしないように、と。」
最愛の母アンリエットは1977年10月25日に亡くなる。その死は、たんなる悲しみをこえた絶望的な思いをもたらし、残酷な喪のなかで、バルトはカードに日記を書きはじめた。二年近くのあいだに書かれたカードは320枚、バルト自身によって五つに分けられ『喪の日記』と名づけられた。
とぎれとぎれの言葉が、すこしずつかたちをなして、ひとつの作品の輪郭をえがきはじめるのが日記からかいまみられる。そうして、母の写真をめぐる作品『明るい部屋』が生まれたのだった。
『喪の日記』は、最晩年のバルトがのこした苦悩の刻跡であり、愛するひとを失った者が「新たな生」をはじめようとする懸命の物語である。そこから浮かびあがってくるのは、言葉で生かされている者が言葉にすがって立ち上がろうとする静やかなすがたなのである。
内容説明
最愛の母アンリエットが1977年10月25日に亡くなる。その死は、たんなる悲しみをこえた絶望的な思いをもたらし、残酷な喪のなかで、バルトはカードに日記を書きはじめた。二年近くのあいだに書かれたカードは320枚、バルト自身によって五つに分けられ『喪の日記』と名づけられた。とぎれとぎれの言葉が、すこしずつかたちをなして、ひとつの作品の輪郭をえがきはじめるのが日記からかいまみられる。そうして、母の写真をめぐる作品『明るい部屋』が生まれたのだった。『喪の日記』は、最晩年のバルトがのこした苦悩の刻跡であり、愛するひとを失った者が「新たな生」をはじめようとする懸命の物語である。そこから浮かびあがってくるのは、言葉で生かされている者が言葉にすがって立ち上がろうとする静やかなすがたなのである。
目次
喪の日記 一九七七年一〇月二六日‐一九七八年六月二一日
日記のつづき 一九七八年六月二四日‐一九七八年一〇月二五日
(新たなつづき) 一九七八年一〇月二六日‐一九七九年九月一五日
日付のない断章
マムについてのメモ
著者等紹介
バルト,ロラン[バルト,ロラン] [Barthes,Roland]
1915‐1980。フランスの批評家・思想家。1953年に『零度のエクリチュール』を出版して以来、現代思想にかぎりない影響を与えつづけた。1980年2月25日に交通事故に遭い、3月26日に亡くなった
石川美子[イシカワヨシコ]
1980年、京都大学文学部卒業。東京大学人文科学研究科博士課程を経て、1992年、パリ第7大学で博士号取得。フランス文学専攻。現在、明治学院大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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