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出版社内容情報
日蘭修好400年の年に初めて明かされる、オランダ人捕虜が家族にあてて戦争中に記した感動の手記。
第二次世界大戦中、釜石の日本軍捕虜収容所にはオランダ、イギリス、アメリカ人の捕虜が収容され、鉱山や病院で強制労働に従事させられていた。当時、オランダ領東インド(現在のインドネシア)に住んでいたオランダ人教師が、釜石での捕虜生活下で、妻ネルと子供たちにあてて書いた日記。この日記は、戦争の貴重な資料でもあるが、それ以上に人間の尊厳とは何かを考えさせずにはおかない、感動の手記である。時代を超え読まれて欲しい一冊である。
内容説明
「僕はいま釜石にいる」。第二次大戦中、この町の収容所で書かれたオランダ人捕虜の日記。家族と再会の日は来るのか?人間の尊厳と感動と和解のメッセージ。
目次
ネルと子供たちにキスを―日本の捕虜収容所から(ジャワでの捕虜生活―1942;輸送船で日本へ―1942;日本での捕虜生活―1942‐43 ほか)
ネルからウィムへ―遺書
ウィム・リンダイヤ氏へ―遺書の口述筆記者スローテマーカ・デ・ブルイネ嬢の手紙
著者等紹介
リンダイヤ,エヴェルト・ウィレム[Lindeijer,Evert Willem]
オランダのロッテルダム市に生まれる。1935年ライデン大学で博士号取得、同年、オランダ領東インド(当時)へ渡り、バンドンのキリスト教系高等学校の理科の教師となる。太平洋戦争の勃発、日本軍による同地の占領にともない、衛生兵として徴集されていたところを捕虜となり、当時6歳の長男をかしらに4人の子供と妻を残して、’43年10月初頭、1200人の連合軍捕虜とともに日本本土へ海上輸送される。釜石の日鉄工業(当時)の鉄鉱山などで強制労働に従事させられ、同地で終戦を迎える。’46年7月オランダに帰国し、高校教師、半官半民の研究機関に勤める。デルフト市にて没
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おかむら