内容説明
レトリックとは本来、危険で、狡猾で、邪悪な技術である。雇い主のためなら、たとえ「正しくない」ことでも「正しく」論証してしまいかねないような技術なのだ。この本は、現在あまりにも偽善的な評価によって正当性が認知されつつあるレトリックを、その居心地の悪い「陽のあたる場所」から救い出し、再びそれにふさわしい日陰者の位置に追いやろうというこころみである。
目次
序 レトリックはその本性によって「詭弁」を志向する
第1章 「自分を恋している者よりも恋していない者にこそ、むしろ身をまかせるべきである」―プラトン『パイドロス』におけるリュシアスの演説について
第2章 「修辞学の教師たちは前代未聞の狂気にかられているのではないでしょうか」―古代ローマの修辞学校の訓練方法について
第3章 「昂奮するな。質問し続けるがよい。そうすれば彼らは答弁することであろう」―フロイス、ロレンソと日乗上人との論争について
第4章 「この桁外れの人物は本当に“実在”したのか」―リチャード・ウェイトリーの『ナポレオン・ボナパルトに関する歴史的疑義』について
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
珈琲好き
11
織田信長って存在自体がなろう系転生主人公だよね。2015/09/14
袖崎いたる
6
帯文が「闇の修辞学」なのね(笑) たしかに闇のゲーム的なところはあるが。著者が言うとおり、やたらに屈服=納得させたら勝ちって面が押されている。文系学生が現場で使えない〜っていう企業の側の嘆きみたいなのにも関わってきそうなくだりさえある。古代ギリシャのあたり…いや、ローマ時代のくだりとか。しかしこの本でもっとも夢中になったのは、織田信長が純粋に言論のロジックその骨子に目を向けるという、説得されるのに具体的なものを重視する日本人からしては異色の関心を持っていて、宣教師にちょっかいを出していた宗論紹介のくだり。2021/01/07
富士さん
5
自明の正しさを議論の対象にはしない。すべての議論は白だと思っている相手を黒かもしれないと言いくるめること。つまり、すべての議論は詭弁を目指す。「挙証責任を相手に持たせよ」とか「所詮知識が多い方が強い」など、具体的な技術も紹介されていますが、これが一番の名調子でした。レトリックが詭弁の技術であると言うなら、ロジックもまた詭弁である。日々出会う論争の場面では、ロジックもレトリックも相手があらかじめ持っている正しさをくすぐるための技術という意味では同じ。社会的に見るならば、「それは詭弁んだ」というもの詭弁。2023/07/22
CCC
3
出だしのレトリックは人畜無害な技術ではない宣言に笑った。過去の論争などを取り上げ、そこでどのようなレトリックが使われているかを解説している。古代ローマの修辞学校と、織田信長の前で行われたフロイス・ロレンソと日乗による宗義論争についての部分が面白かった。歴史好きは楽しめるかも。詭弁術に期待していた人は拍子抜けするかもしれないが。2018/10/24
Yoshikazu Koshikawa
3
詭弁の方法論を説明したのではなく、詭弁する、利用してきた人たちの目的や真意を説明した1冊なのだろうか。詭弁は「if then」論なのだ。注意せよ。という感じでした。2012/05/12