出版社内容情報
境界の領主に過ぎなかった徳川家康。天下人へと駆け上った足跡を新出の史料と最新の解釈で描く。シリーズ《中世から近世へ》第1弾。
柴 裕之[シバ ヒロユキ]
著・文・その他
内容説明
こんな家康が見たかった―。追われて、迫られ、翻弄されて、揺らぐ家康像。天下人への道をリアルに描いた決定版。
目次
第1章 松平氏の時代―三河国衆としての動き
第2章 家康の再出発―戦国大名徳川氏の誕生
第3章 織田・武田両氏との狭間で―同盟・敵対と内紛の時代
第4章 天正壬午の乱とその後―信長死後の五ヵ国統治
第5章 羽柴家康―豊臣政権下の徳川氏
第6章 江戸開幕への過程―天下一統の行方
終章 家康の実像とその時代
著者等紹介
柴裕之[シバヒロユキ]
1973年東京都生まれ。東洋大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程満期退学。博士(文学)。専門は日本中世史。現在、東洋大学文学部非常勤講師、千葉県文書館嘱託(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
サケ太
24
徳川家康という男の、流布された虚像を取り去る良書。松平家の始まりから、今川、織田、豊臣の中で生き抜き、培われた経験から天下人としての地位を得ていった過程が書かれている。変遷する立場の中で与えられた役割をこなしていった男。江戸時代の中で、神祖として崇められ生まれた神話的虚像。“狸”と呼ばれたその行動。陰謀論を排した姿も格好良い。『「日本国」の態様や社会に規定され、活動した政治権力者であった。そして、彼が天下人になったのは、当初より必然のものではなく、この時代に適った政情への対処が導いた歴史的結果であった。』2020/01/04
樋口佳之
21
江戸時代から引き継がれている「松平・徳川中心史観」にもとづく家康像の再検討はもとより、信長・秀吉ともに、彼らの個性とされる「革新性」にばかり注目され描かれてきた時代像への私なりの検証/ドラマや小説のイメージが剥がれていくのがちょっと寂しい2018/09/27
Toska
15
家康が「忍従の人」に見えてしまうのは後の天下人だという先入観があるからで、そのフィルターを取っ払うと意外なほどアグレッシヴな生き様。義元・信長・秀吉という三人の庇護者の下ではいずれも厚遇されているのに、彼らが死ぬとすぐさま大動乱に巻き込まれ、あるいは他を巻き込んで、結局は大きく飛躍していく。「織田がつき羽柴がこねし天下餅…」だけど、家康も結構その両方を手伝ってますからね。凄い人です。2023/03/14
coolflat
14
・徳川氏は武田氏の攻勢を受けて領国の範囲を狭めていった。そのため家康は元亀争乱の解決に向けて天下人の道を歩むこととなった織田信長を頼みとせざるを得なくなり、やがて織田権力への従属を受け入れていくことになる。こうした中、1575年2月、遠江国井伊谷の追われていた井伊虎松は家康に仕え、井伊家の家名再興を遂げたという。家康が井伊家再興の支援に動いた背景には甲斐武田方勢力への対策という政治的理由がある。つまり当時の徳川氏が置かれた状況とのかねあいで、井伊氏は徳川家臣として再興の歩みを踏み出すこととなったのである。2025/01/24
bapaksejahtera
13
家康研究はこの半世紀間に急速に進んだという。この結果徳川15代のバイアスの掛った史観は改編を迫られている。著者は特に中世後期戦国大名としての徳川氏が専門で、当時の大名支配の重層構造から論を進める。狭い領域における支配権を有する国衆があり、これを抑えるより広い領域を支配する惣国衆に服属する。徳川は惣国衆今川織田に挟まれた境界領域に位置し、苦しい領域運営を迫られた。そうした歴史展開の中で家康及び松平氏は生き延びた。熟柿を座して得たのではなく況して運によっただけでもない。歴史というものの不思議を感じるのである。2021/04/25