出版社内容情報
ベケット文学の集大成と言うべき《小説の終わり》。小説の解体を極限まで推し進めつつも渾然たる詩的宇宙を完成させた「最後の小説」
サミュエル・ベケット[ベケット]
1906?1989年。アイルランド出身のフランスの劇作家、小説家、詩人。
片山 昇[カタヤマ ノボル]
内容説明
“無調音楽”としての小説。句読点のない言葉がリズミカルに匍匐前進してゆく「三楽章」からなる文学。
著者等紹介
ベケット,サミュエル[ベケット,サミュエル] [Beckett,Samuel]
1906‐1989。アイルランド出身の劇作家・小説家。1927年、ダブリンのトリニティ・カレッジを首席で卒業。28年にパリ高等師範学校に英語講師として赴任し、ジェイムズ・ジョイスと知り合う。うつ病治療のためロンドンの精神病院に通うが、37年の終わりにパリに移住し、マルセル・デュシャンと出会う。ナチス占領下には、英国特殊作戦執行部の一員としてレジスタンス運動に参加。『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』の小説三部作を手がけるかたわら、52年には『ゴドーを待ちながら』を刊行(53年に初演)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
フリウリ
8
一つ一つの文章を追っていけば、プロットがあることはわかる。しかし、わざわざ「プロットがあることがわかる」などと言うこともでき、また、それを語ることに意味があるのかないのかわからないところが、この小説が異常かつおもしろいところです。小説冒頭から最終行まで、張り詰められたテンションに圧倒されました。また本書には、「読書力」を鍛える絶大な効果があると思われます。本書(そしてベケットの他の小説群)を読み終えられれば、どれほど難解な内容の本でも「読める」ようになるのではないでしょうか?! 102024/02/25
hiro
6
私が存在しているのは宇宙の胎内・・・泥のような羊水の世界に私は微睡む・・・その胎内は何億万年もの経過とともに何億万個の遺伝子が漂い、胎内時間は無限。私はその泥の羊水に漂う胎児。私に浮かぶ記憶やイメージは私の遺伝子の記憶。私の傍にある缶詰などの入った袋はいわば宇宙の"へその緒"。私はそこから栄養補給する。そしてアメーバー状の私は泥の中を特殊な屈伸運動により移動する・・・そしてその移動中に私はビムと出会い結合し、そしたまた分裂する。私はその"事の次第"を便宜上、ビム以前。ビムとともに。ビム以後と名付ける・・・2019/05/17
roughfractus02
3
「聞いたことを言い、それを見る」という語り手は、身の回りの物が限られつつも(問題を考えることと食べること)、ランダムにそれを選ぶことで言葉を持続させるかに見える。一方、ビムの登場でビム以前と以後が区別され、時間の線状性が現われるのだが、語り手とビムは相容れない。なぜなら、語り手がビムとは異なる世界にいることがビムが不在の以前/以後で示されるからだ。語り手は語るべきものがないのに推論を尽そうとする。句読点のないこの小説に物語を求める読者は語り手と別の世界にいて躓き、飽きるほどに本書の世界を周回し始めている。2017/07/26
しもうさ
2
第三部最終20ページからの加速に素晴らしい恍惚があった2018/06/17
ハマジン
2
「聞いたとおりにわたし」が「語る」すべては「正解」であると同時に「何かがまちがっている」。それ自身が生成(Oui)と消滅(Non)を同時に志向する、薄暗がりと泥と四方八方からぺちゃくちゃしゃべる「引用文」とで出来た、魅力的に「貧しい」テクスト。句読点なしの言葉の断片が裂け目をあらわにざくざくと縫われていく記述の中、いきなりこんな美しい一文に出くわすことになるわけで、やっぱこういうのが読書の醍醐味っつーもんですな。 「かくしてわたしたちは無にして薔薇色疑いもなく楽しいとき」p.1732018/05/23