出版社内容情報
家はいつだって見守っている。「私」が過ごしてきた家々が語る、「私」の人生の光と影。アントニオ・タブッキ、ジュンパ・ラヒリ激賞の偉才が紡ぐ、愛おしくて哀切な言葉の旅。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
藤月はな(灯れ松明の火)
56
人が生きていく中で居場所になり、拠り所、若しくは孤独の原点ともなる「家」に纏わる掌編集。同時に作者の半自伝的作品でもある。幼き日の亀との思い出、父親との不仲、近所の人妻との逢瀬、そしてあのパゾリーニ監督の暗殺事件に至るまでがパッチワークのように配置されている。様々な人々の思い出が内包されるのではなく、「家」に自分の思い出を投射させていくという思想の逆転に目を開かれた。活気はあったのに今は誰もいない家、いつかは誰かがいなくなる家、家があった痕跡を思い出すことを通して人は「現在」をとらえるものなのかもしれない2023/02/12
ヘラジカ
56
久々に自らの文学観が拡張されるような”新しい”小説を読んだ。作者自身の人生や、それと密接に結びついた歴史上のイベントが「家」という空間(観念的なものも含めて)を介して散文的な断片の連なりで物語られる。説明となると難しい。浅い読書歴のなかで読んでいるときの感覚を例えるならば、ロラン・バルトの『恋愛のディスクール』が近いように思った。前衛的な小説というと一般読者がついていくのに苦労するものが多い印象があるが、この作品は翻訳でも分かるほどの美しい文章もあって、古典のような格調高さをも備えていた。傑作。2022/10/04
かもめ通信
24
掌編の積み重ねで構成されているという点では、ラヒリの 『わたしのいるところ』に似ているかもしれない。過去と今とこれからの境がどこか曖昧で、夢と現実にどれほどの違いがあるのか分からなくなりそうなのにとても切ないという点では、 タブッキに似ているのかもしれない。けれどもそのどちらとも、今まで読んだどの物語とも違っている。なにより一つの建物でも土地でも時でもない、「家」という空間で人生を捕らえるというその語り口に驚かされて、私は思わず自分の家の歴史をもふりかえる。不思議な読み心地の本だった。2022/11/23
ハルト
14
読了:◎ めまぐるしい走馬灯のような家の数々。この本で語られる家々は、著者の私生活を暗示もしており、どこか湿度が高い。その時その時で「私」が暮らした家にまつわる思い出を描きながら、喜怒哀楽の感情を想起させる。▼家とはなんだろう。さまざまな感情を内包している家には、さまざまなドラマがある。個人の人生の断片が、家の記憶に染みつく。記憶が重なりあって、初めて家は完成するのではないか。そんな気がした。▼そして文章が、読み終えたときにハッとするような美しさのある文章だった。2023/02/02
8123
7
人生は家遍歴に置き換えられる、と言われてみれば確かにその通りなんだけど、「家」の定義があいまいで車や結婚指輪、記憶もすべて「家」ということらしい。「亀の甲羅」の喩えから見て、「家」は「人間化された空間の最小単位」であり、「うちとそと」をわかつ私的空間と解すればいいんだろう。人が家に住むんじゃなくて、家に人が住む。そもそもなんでこんな書き方するんだろう。作者にとって「家」は苦い記憶や人生の躓き、見舞われた不幸の反射材みたいなもんなのかもしれん。おかげで読者も安っぽい内面吐露を直に聞かされずに済むのは良かった2023/04/09