- ホーム
- > 和書
- > 芸術
- > 絵画・作品集
- > 浮世絵・絵巻・日本画
出版社内容情報
河鍋暁齋による 「狂齋百圖」 の104図全てをカラーで掲載。戯画の紹介だけでなく、図版に登場する人物、和歌や俳句まで解説。河鍋暁齋による「狂齋百圖」の104図全てをカラーで掲載。古来からの喩えや諺、決まり文句を画材に描いた戯画の紹介だけでなく、その図版に登場する人物、和歌や俳句、参考文献なども解説。あらゆる角度から浮世絵の「絵を読む」。
【本書の特長】 ◆「狂齋百圖」104点の戯画すべてをオールカラーで収録。すべてに解説を付けた。また、絵の画題には、すべて英文を付けた。
◆本書の図版は、若狭屋與市版(若与版。初摺、2版)と大倉孫兵衛版(大倉版。後摺)による。
◆解説に【近世戯画集としての「狂齋百圖」】・【ジェームズ・アラキ教授と「狂齋百圖」】を収録。
◆附論・附録に「狂齋時代 作画期の画号表記について」「見立番付・擬細見の狂齋・」「若狭屋與市版と大倉孫兵衛版の相違一覧」「河鍋狂齋略年譜」などを付ける。
はじめに
凡 例
総 論
図版コラム
解 説
附 論(狂齋時代――作画期の画号表記について ・ 見立番付・擬細見の狂齋)
附 録
若狭屋與市版と大倉孫兵衛版の相違一覧
河鍋狂齋略年譜
画題索引
あとがき
Index of Illustrations
河鍋 狂斎[カワナベ キョウサイ]
1831(天保2)?1889(明治22)6歳にして浮世絵師・歌川国芳の門に入り、後に狩野派の前村洞和の門に移る。19歳の頃に再び浮世絵師へと転向、25歳のときに戯作者・仮名垣魯文と出会い、魯文の文に絵を添えた摺物(鯰絵)を描く。戯画の狂斎として月岡芳年、二代歌川広重、二代歌川国貞、豊原国周などと並ぶ人気浮世絵師の地位を得る。1870年(明治3)10月、上野不忍池の料亭で筆禍事件を起こし、3か月の入牢の憂き目に会い、狂斎を「暁斎」と改名。1876年(明治9)にフランス人エミール・ギメとフェリックス・レガメーの訪問を受け、ギメの著作『東京・日光散策』(1880)に日本を代表する絵師と紹介されている。またフランシス・ブリンクリーやジョサイア・コンダーのように弟子入りする外国人も現れ、コンダーは暁英の号を受けた。数百点を越す肉筆画を描き、最後の浮世絵師、狩野派の継承者、鏑木清方、水野年方などに影響を与えた近代美人画の創始者として、近世の絵師という枠を超えた芸術家であったといえる。
宮尾 慈良[ミヤオ ジリョウ]
宮尾 與男[ミヤオ ヨシオ]