内容説明
フローベールの最初の長編小説を徹底的に読み抜くことによって、その「テクスト的な現実」に露呈するさまざまな問題を縦横に論じる。歳月をこえた書き下ろし2000枚、遂に完成!
目次
1 散文と歴史
2 懇願と報酬
3 署名と交通
4 小説と物語
5 華奢と頑丈
6 塵埃と頭髪
7 類似と齟齬
8 虚構と表象
9 言葉と数字
10 運動と物質
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
アキ
67
ボヴァリー夫人がエンマを含め3人いることだけでなく、シャルルの中学入学の場面が母親のボヴァリー夫人が夫に懇願した報酬としての晴れ舞台と見ることは、テクストの文脈を読むほんの一例に過ぎない。最後の1文で示される薬剤師の勲章の1文は最初のシーンと呼応する。1850年バルザックの死に影響を受け、1851年サント=ブーウにより新聞の書評が開始された頃に執筆が始まり、サルトルが「神は死んだ。人間的な事象が神の代わりになる」と言った時代。1857年に刊行され、校訂版・決定版といくつかの版があることも意に介さない。⇒2020/02/11
かんやん
38
『ボヴァリー夫人』を「テクスト的な現実」に基づいて縦横無尽に語り尽くす、贅沢極まりない一冊。主題論的に(とはいっても、「手と足」「頭髪と塵埃」といった具合)、説話論的に。「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という要約、エンマは夢と現実の見分けがつかないという指摘、ボヴァリズムという概念などは、テクストを無視した抽象でしかない。小説を読むとは、論じるとは、こういうことか。150年以上前の名作について、未だかつて誰も指摘し得なかったようなことを、次々と新たな視点で論じてゆく。いやはや、恐れ入りました。2020/01/12
燃えつきた棒
34
サルトルのフローベール論『家の馬鹿息子』に取りかかる前に、蓮實氏のこの大著を紐解いてみたいという誘惑に抗えなかった。 いまさらではあるが、蓮實氏の知識や研究の広さ・深さに舌を巻いた。 深読みの楽しさを思う存分満喫できる本だ。 「塵埃と頭髪」のテーマ、シャルルとエンマの相似性など眼からウロコの指摘がてんこ盛りだ。/ 読み始める前、一つの疑問があった。 それは、この『ボヴァリー夫人』という物語は、なぜシャルルの転校から書き始められ、エンマのではなく彼の死で終わっているのかということだ。/2026/05/23
三柴ゆよし
22
最後まで目をとおすのに半月かかった。なにかきわめて斬新なことが語られているわけではないが、テクストの細部と細部の響き合いにえげつない執着を見せる、これはやはり異形の書物と言わざるをえまい。あのハスミン文体を、約700頁強、ひたすら雨霰と浴びせられるのだから、当然、読むには相当の体力を要する。とはいえ、それでもぐいぐいと読ませるあたり、話芸として卓越しているのだろう。いまだ手をつけていないマクシム・デュ・カン論(『凡庸な芸術家の肖像』)も読まねばなるまいが、さすがに疲れたので、まあ、数年後でいいかな……。2020/06/11
梟をめぐる読書
22
「エンマ・ボヴァリーは自殺した」という結末によって知られる文学作品のヒロインは、実は「エンマ・ボヴァリー」 ではなかった。何故なら彼女は作中において一度も「エンマ・ボヴァリー」と表記されたことはなく、それこそが「テクスト的な現実」なのだから、と。著者らしい強引な立論だが、この種の「現実」離れした解釈が今日の『ボヴァリー夫人』理解を形作ってきたのであれば、確かにこの作品はまだ少しも「読まれて」いない。賛否あろうが、正しい作品の「理解」と開かれた解釈の可能性へと向かう斬新な切り口の評論であることは間違いない。2014/11/06




