出版社内容情報
山崎 佳代子[ヤマサキ カヨコ]
著・文・その他
内容説明
「最初は、死者が名前で知らされる。それから数になる。最後には数もわからなくなる…」。旧ユーゴスラビア、ベオグラード。戦争がはじまり、家、街、友人、仕事…人々はあらゆるものを失っていく。そして、不条理な制裁と、NATOによる空爆がはじまった。日本への帰国を拒み空爆下の街に留まった詩人が、戦火のなかの暮らし、文学、希望を描くエッセイ集。
目次
1 カラタチの花、トランク
2 こどもの樅の木
3 光る朝の雪
4 ひなぎくの花
5 鳥のために
6 あどけない話
7 泳ぐ花嫁
おわり、或いは、あたらしいはじまり
著者等紹介
山崎佳代子[ヤマサキカヨコ]
詩人、翻訳家。1956年生まれ、静岡市に育つ。北海道大学露文科卒業。サラエボ大学文学部、リュブリャナ民謡研究所留学を経て、1981年よりセルビア共和国ベオグラード市在住。ベオグラード大学文学部にて博士号取得(比較文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アキ
106
1981年からセルビア共和国ベオグラード在住の詩人。書き下ろしの自叙伝を除くと、1992年から1999年に書かれた文章。ユーゴスラビアは米ソ冷戦の間の橋として存在していた。冷戦が終わると、1991年クロアチアで内戦が始まり、翌年サラエボにも拡がる。スロベニア、クロアチア、マケドニアが分離し、セルビアとモンテネグロが残った。1999年NATOによるベオグラード空爆が78日間続いた。その深い闇の中、ベオグラードで過ごした時の文章。読み終えて、最初の詩を読み返すと、詩でしか表現できないものがあるのだと感じる。2023/02/26
ネギっ子gen
58
【「故郷の空は貝の火に燃え上がり きよらかな地、安らかな国へ ここから歩いていけるのか 靴を失くした子供たちも」(詩『旅は終わらない』から)】詩人が戦下に留まり、国の歴史の断片を記し、そこに生きた人々の軌跡を自らの身体を通し綴った書。2003年刊の単行本に加筆修正して、22年文庫化。解説は池澤夏樹。<言葉に力が潜むのは、人と人を繋げることができるからだ、と思う。「ここにも、人が生きているよ」と、暗闇から光を放つこと、それが言葉を発することの、一番目の意味だった。絶望から私たちを救う言葉が、あるのだ>と。⇒2025/08/08
ひでお
14
ユーゴ内戦は、当時ニュースで何度も目にしたはずなのですが、内戦に至った理由や背景について、なにも知ってはいませんでした。著者は詩人なので自然体で言葉を紡いで、すっと読み手の中に入り込みます。そして多くの人の苦しみや憎しみや、口惜しさを語りかけられたようでした。以前に当時クロアチアのザグレブフィルの指揮者だった大野和士さんが空襲の最中にもコンサートを行っていたと聞いたことがあります。戦争という手段では誰も幸福にならないけれど、文化はその対立を超えてつながることができる一番の武器ではないかと思います。2023/01/17
かやは
12
1999年に旧ユーゴスラビアで起きたNATOによる空爆を経験した著者が、その当時の生活や思いを綴ったエッセイ集。2003年に初版が刊行され、2022年に文庫化された。その経緯は、現在起きている戦争と無関係ではないだろう。制裁のせいで、癌の治療が受けられず亡くなる子ども。現代のロシアでも同じようなことが起こっているかもしれない。だからと言って他にどんな方法があるのか、私にはわからない。戦争という環境が人々をどのように痛めつけるのかを、物理的にも精神的にも教えてくれる一冊。2023/05/31
アムリタ
12
昨年まで作者のことを知らなかった。 旧ユーゴスラビアに内戦があったのは知っていた。昔々の恋人はユーゴスラビア人の船乗りだった。スマホもインターネットも無い時代。生死すらわからぬままだ。 作者は詩人で一人の生活者の視点で人々に起きたことを記した。母であり、一人の女性であり、日本人という特異な立場でありながら人々と共に暮らし、この土地から逃げなかった。身近な人々が死に、難民になり、子どもも大人も深い傷を負った。見える傷、見えない傷。戦争による傷は、長く続き、きっと癒えることはないと思わせる。深い余韻が残る。2023/03/04