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内容説明
本書には、ハイテクを使った新しい方法で、とてつもなく古い時代の人びとの姿に迫ろうとしている研究者たちが登場する。日本人はどこから来たの?大むかしの人びとは、なにを食べていたの?身長は?人相は?服装は?住まいは?お墓は?ナゾ解きのために、証拠を積み重ね、真実をつきとめる。観察力、洞察力の勝負だ。
目次
1 最新科学で探せ、日本人の祖先
2 森のヒト、縄文人に会いに行こう
3 「縄文の都」三内丸山遺跡ウオッチング
4 ミステリー、なぜ「縄文の都」は消えた
5 だれがコメ作りをはじめたんだろう
6 四千年前の日中友好
7 田んぼが日本列島に登場した
8 吉野ケ里遺跡から弥生時代を見よう
9 女王ヒミコのウーマンパワー
10 加茂岩倉遺跡、銅鐸のナゾ
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
がんぞ
2
縄文の浪費型採取生活が終わったのは、5000年前の地球“寒冷化”が原因であり、採取・狩猟生活から定住し農業によって食糧を得るようになった。移動して狩猟好適地点を探す生活より《農業》は天候などの条件により成果が不安定なものであるうえ、労力提供と襲撃からの警備に通年の信用を必要とする。それでも女・子供も労働力として活用できる。コメ作り=治水灌漑は縄文時代後期の遺跡がある。(寒冷な半島から渡来し)米作りを知らない弥生人とどのように融合したか?言語は化石に残らないから周辺類似言語から推測のみだが、日本語は孤立言語2016/08/10
がんぞ
1
縄文土器は人類最古の土器であり、美しい文様をほどこし火炎型など工夫を凝らしたのは類を見ない。食べ物は多彩で栗、どんぐりなど果実、コメなど穀類(弥生以前にもコメ栽培ははじまっていた)、マグロなど魚類はもちろん鯨、馬、鹿、犬まで食べていたとか(不自然に接合した12歳まで生きたと推定される犬の骨もあるので老犬が大事にされることもあったようだ)。石棺など使用の岩石も何百kmも運んできている。三内丸山遺跡の宏大なこと。埴輪のわざと壊した頭部が数百m離れたところから発見される事例が多い(何の意味か)。銅鐸、銅剣の謎。2014/08/13