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内容説明
高度経済成長に沸く、昭和40年代。都市河川の象徴である多摩川は、人々が垂れ流す生活排水に汚染され、奇形魚の棲みかと化していた。その「死の川」に、雨の日も風の日も足を運び続ける男がいた。泥まみれになって、生き延びている魚を探し、魚道を掘る。石鹸と合成洗剤の味がする魚を食べ、水質状況を確認する。多摩川清流化に、たった一人で挑み続けた男の感動の記録。
目次
第1章 汚染された「死の川」
第2章 命を探す、川の仕事人
第3章 川の救世主、下水処理場
第4章 多摩川に育てられた私
第5章 多摩川に「食べられる」天然鮎を戻そう!
第6章 多摩川に人を集めよう!
第7章 数え切れない挫折を超えて
著者等紹介
山崎充哲[ヤマサキミツアキ]
1959年、神奈川県生まれ。日本大学農獣医学部水産学科卒業。淡水魚研究家として1977年より活動を開始。多摩川の魚類研究をライフワークとしている。特に鮎の生態は産卵、遡上、生育に詳しい。現在は、川崎河川漁業協同組合総代、NGOガサガサ水辺の移動水族館長、水辺の安全教育委員会、「おさかなポストの会」代表、東京都レッドデータブック選定委員などを務め、多摩川清流化のために奔走する毎日を過ごす(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ふろんた2.0
11
多摩川で鮎を釣って食べられるまでになった。汚染がひどかった頃は石鹸臭くて食べられるようなものではなかったらしい。2018/03/16
けんとまん1007
5
多摩川の復活が副題になっているが、それに尽きない1冊だと思う。生き方の軸をどこに置くのか?こう考えると、稀有な類に入ると思う。あくまで、連鎖の中で物事を考えること、くじけず継続することなど、よく言われることではあるが、それを実践されているのだ。2010/09/10
マカロニ マカロン
4
個人の感想です:B。昭和40年代中頃(1970年前後)、河水が泡立ち、油や汚泥で汚染されてしまい魚介類が死に絶えたと思われていた多摩川。下水道浄化施設の拡充で徐々に復活を遂げ、今では多摩川で釣った鮎が食べられるまでに水質が改善した。ところが家で飼えなくなった熱帯魚を放流したり、新たな問題も起きている。多摩川流域の人々がもっと多摩川に関心を持ち、またぜひとも河に遊びに行って欲しいと訴えている。多摩川で釣った鮎を「人間が食べることによって、川の環境を維持できる仕組みが川にはある」のだそうです。2014/09/30
なか
3
★p19 記録を読むと、多摩川の目立った汚染は昭和40年代始めには報告されています。それからたった5年で「死の川」にまでなってしまったのだから、汚染のスピードがおわかりでしょう。☆p179 水難時に電柱の上にしがみついている人々がいるでしょう。水がどこまで来るのか印があれば、その助けになるのではないですか。2017/03/22
rbyawa
3
d103、そもそも多摩川に流れている水は「多摩川源流」と呼ばれる自然の水ではなくて、そちらはほとんど全ては東京の水道に。で、流しているのは高度下水処理水。前に読んだ本ではこれすら処理してどうするんだと笑われてたし、汚染処理場が汚染の原因って言ってたり、トンチンカンなことしてたんだよな。この方は直接多摩川になにかしたわけじゃなくて記録取ってゴミを取って魚道への助言をしてイベントをして、人の目をまた川に戻させたんだよね。そう簡単には死なない、でも、一度死んだら取り返しは付かないってまだ間に合うって話なのかな。2013/07/22