内容説明
目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹―寺山修司の出発点は俳句である。高校時代より、後の広汎な表現活動の萌芽を感じさせる完成度の高い作品を作った。本書は、単行本初収録作品を含む寺山の俳句についての「文章」「発言」を網羅したはじめての画期的な試みである。寺山ファン、俳句愛好者のみならず、これから俳句をはじめようとしている方にも絶好のもの。
目次
第1章 俳句とは何か
第2章 俳句の方法
第3章 序文、跋文
第4章 師、結社、句会の仕組み
第5章 俳句の細道
第6章 寺山俳句百句
著者等紹介
寺山修司[テラヤマシュウジ]
1935年、青森県弘前市生まれ。14歳より句作をはじめる。早稲田大学在学中の’54年、「チェホフ祭」50首で第二回短歌研究新人賞を受賞。前衛短歌の代表的歌人となる。詩、小説、評論を発表する一方、演劇にも情熱を注ぎ、演劇実験室「天井桟敷」を主宰。また映画をも手がけ、あらゆるジャンルで時代を先取りする表現活動を行なった。’83年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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かふ
20
寺山修司の俳句には嫉妬する。それは還暦から俳句を作り始めた私の後悔からか?違うような気がする。青春時代に俳句という短詩形式に出会って、青春を表現出来たことにだ。いまどんなに私が頑張っても青春俳句は作れない。寺山修司の俳句は、青春俳句なのだ。だから戦後俳句派にも恐れもせずに物申す。三十代の俳人への言葉は、今読むと若さゆえかなと思ってしまうことが年寄りな証拠だった。今の政治がどうなろうと、女の子と恋愛はするし、流行の音楽や映画について語る。ただそこに俳句がないだけだ。寺山修司の俳句以外は。2022/09/09
朝日堂
20
寺山の最初の表現は「俳句」であった。学生時代の時評や回想から抜粋した俳句本。入門とあるが何か方法を示しているわけではない。所収の類いである。さて彼にとって俳句とは何であったのか。それは、戦後、瓦礫だらけの状況で生まれた「堕落派」(坂口安吾や太宰治など)へのアンチテーゼであるとする。彼ら堕落派は「形態」までも瓦礫化してしまい、自分を卑小な存在だとしてきた。対して五七五という俳句の「形態」を用いて、私性を復権し超越しようという意図があったとする。三鬼、草田男、波郷、楸邨、誓子への憧憬がよく見えておもしろい。2013/07/25
じょうこ
6
15歳で俳句を始めた寺山。中学~高校にかけて自己形成に最も大きい比重を占めていたのが俳句だという。「いっちょう、言葉を地獄にかけてやるか!」といったことを口にしながら五七五の枷をもって句会へでかけたそうだ。十代の頃の句誌での論評バトルなどを読むと、その姿勢の厳しさと言葉への執着に圧倒される。さらに彼は俳句そのものの反近代的魅力のみならず「俳句結社のもつフリーメーソン的な雰囲気が私をとらえた」とも。死後23年に編まれた本。全6章。その編集力にうっとりする。寺山百句も掲載。入門書ではないのであしからず。2025/04/25
床ずれ
4
五七五という形式化された短詩型を切り口に寺山哲学を紐解いてゆく。まさに「寺山修司の」俳句入門。後半の螢火抄や同級生に嫉妬する話なんか凄く面白かったです。2014/09/25
rouningyou
3
寺山というと演劇の前は短歌だと思っていたが、その前に、中高生の時には相当早熟な俳句を詠んでいたんだと知った。凄すぎる。2016/06/27
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