現代「只管打坐」講義―そこに到る坐禅ではなく、そこから始める坐禅

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現代「只管打坐」講義―そこに到る坐禅ではなく、そこから始める坐禅

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  • サイズ 46判/ページ数 630p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784333028399
  • NDC分類 188.86
  • Cコード C0015

内容説明

あらゆる「~のため」の放棄こそが坐禅。坐禅がうまくいかないとき、“もっと頑張ろう”と努力の量を増やそうとするのではなく、努力の仕方を見直し、努力の路線を転換してみてはどうだろうか。釈尊、道元禅師と私たちを繋げる坐禅とは何かを思索する、『現代坐禅講義』以後の探究の軌跡。

目次

第1章 何が坐禅を「難しいもの」にするのか?
第2章 坐禅における呼吸と意識
第3章 「正しくないことをやめれば、正しいことは自然に起こる」
第4章 坐禅を邪魔する心の働き
第5章 「呼吸を手放す」ということ
第6章 涅槃の姿としての八正道
第7章 「坐禅すれば自然に好くなるなり」
第8章 「坐禅」をunlearnする“坐禅”
第9章 「心が汗をかかない」ように坐るのが坐禅
第10章 いま、改めて坐禅を普勧する

著者等紹介

藤田一照[フジタイッショウ]
1954年(昭和29年)、愛媛県に生まれる。東京大学教育学部教育心理学科卒業。東京大学大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程を中途退学し、兵庫県にある曹洞宗の紫竹林安泰寺にて得度、僧侶となる。1987年よりアメリカ合衆国マサチューセッツ州西部にあるパイオニア・ヴァレー禅堂に住持(住職)として渡米、近隣の大学や仏教瞑想センターなどで禅の講義や坐禅指導を行う。2005年に帰国。2010年より2018年までサンフランシスコの曹洞宗国際センター所長(第2代)を務め、スターバックス、フェイスブック、セールスフォースなどアメリカの大手企業でも坐禅を指導する。2017年にオンライン禅コミュニティ「大空山磨〓寺」を開創する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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Kentaro

28
菩提樹の下に打坐する前、釈尊は二つのあり方、生き方を経験してきている。まず始めに経験したのは王城での世俗的な生き方である。それは、身・口・意の三業をほとんど無意識のうちに行ってしまっているようなあり方である。知らない間に身につけた「習慣・習癖」のままに身で行い、口で語り、意で考えて生きている。それを何の疑問も抱かずあたりまえのように思っているが、いつのまにか外からインストールされたプログラムをそれと知らずに繰り返し実行しているロボットのようなものである。それを仏教では「無明」とよんでいる。2023/12/28

SOHSA

24
《購入本》曹洞宗僧侶である著者の新刊が出たことを知り早速に手にとった。前著『現代坐禅講義』もそれまでの坐禅に対するイメージを大きく払拭してくれそれとともに坐禅に対する取組み方を明示してくれた良書であったが、本書は更にそこから踏み込んで前書では述べられなかったことについてまで筆を尽くされている。無論、読書だけで禅が理解できるわけではなく実践こそが重要であることは言うまでもない。とは言え、現代の日本仏教があまり教義を語らない状況の中でやはり本書のような先達の言葉は実践においても学術的にも極めて貴重だと思う。2021/05/15

sheemer

14
著者は東大で心理学博士となり、その後曹洞宗の僧侶として米国で17年間を住職として過ごし、曹洞宗国際センター所長となった方。海外での経験が多く、関連してヨガ、ソマティックワークなどともつながっている。マインドフルネスにも価値を置くが、そのものは八正道のうちの正念(のみ)で、有心の行であり、価値は高いが全体的な禅ではあり得ない。とする。坐禅をunlearnする、というような刺激的な物言いもするが、習禅でもなく、吾我を離れた禅の本質としての只管打坐(ただ座る)を論じており、納得感が高い。60回のエッセイ集。2024/01/23

Go Extreme

3
何が坐禅を難しいものにするのか:釈尊の樹下の打坐 坐禅の難しさ 自己調整能力 傾聴する手 坐禅における呼吸と意識:大地友情と同時呼吸 六入説 思量の問題 正しくないことをやめる→正しいこと:アレクサンダー・テクニーク 坐禅を邪魔する心の動き:五蘊論 呼吸を手放す:出息・入息・非長・非短 息のグレードアップ 涅槃の姿としての八正道 坐禅すれば自然に好くなるなり:問題の解決→問題の理解 ハートで坐る 帰家隠坐 坐禅をunlearnする:マインドフルネス 心が汗をかかないように坐る いま、新た改めて坐禅を普勧2021/02/25

littleboy

0
There is no way to Nirvana, Nirvana is way.坐禅している状態の具体的な呼吸や目の使い方、筋肉や腱、内蔵や心中の状態を筆者の体験や修行を通じた言葉でわかりやすく解説している。筆者の米国での坐禅布教活動を通じたアメリカ人の禅への率直な疑問や葛藤から坐禅を新しい角度で理解し教授する新鮮さが読んでいて面白かった。体の使い方を禅だけではなくアレクサンダーテクニックやソマティックワークなど通じて理解することが坐禅の解像度を上げる手がかりになる。「感じて、許す」2022/12/16

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