出版社内容情報
リベラリズムは、従属する主体を編成し、国民国家を立ち上げ、女性・子ども・障害者・外国人などを排除する。福祉国家は冷たい。自発的な売春などありえない。懐疑の視線にさらされるりベラリズム。それでも、例えばホームレスのニードや女性の問題とは、どこまでも政治的な、それこそリベラリズムの問題であるほかはない。懐疑だけではすまない中で、本書はリベラリズムの可能な居場所を探そうとする。英米系の言語や行為の哲学に示唆をうけ、責任をとる主体から成る社会を拒否する限りでは懐疑の視線を共有しながらも、リベラリズムの正義を社会システム理論によって再解釈し、その可能性を確かめ直す。
『広告の誕生』(岩波書店、2000年)で知られる気鋭の社会学者の野心作である。
第一部 責任の社会理論
第一章 コミュニケーションのなかの責任と道徳
一 問題としての「コミュニケーション的行為の理論」 ハーバマス理論の再検討
二 行為の同一性と責任 構成主義の行為理論
第二章 構成主義的責任論とその限界
一 行為の責任・再考 構成主義的に「責任」を考える
二 ラディカルな責任のスタイル ポストモダン政治学との対話
三 転回 強い責任理論は規範理論たりうるのか
第二部 社会的なるものへの懐疑
第三章 Why be social? 私たちはなぜ責任をとる「べき」なのか?
一 事実/価値の二元論は失効したのか
二 存在/当為の「脱構築」を拒むもの
三 社会(科)学は倫理を語りうるか
第四章 How to be (come) social? ささやかなリベラルたちの生
一 ギュゲスの指輪は存在しない?
二 《制度の他者》から《規範の他者》へ
三 《規範の他者》から《リベラル》へ
第三部 リベラリズムとその外部
第五章 《リベラル》たちの社会と《自由主義》のあいだ
一 《リベラル》たちのプロフィール 《自由主義者》との種差
二 「自由主義」の条件 《リベラル》が《自由主義者》となるためには何が必要か
三 「自由主義」を担保する《暴力》
四 「自由主義」国家の不可能性?
第六章 可能なるリベラリズムのために リベラリズムとその外部
一 リベラリズムのプロフィール 薄いがゆえに濃い
二 リベラリズムは外部とどのような関係を持つのか
第四部 「社会的なるもの」の回帰
第七章 正義の居場所 社会の自由主義
一 システム論によるリベラリズムの再定位 コミュニケーションとしての正義
二 正義の居場所
注
現実(主義)から遠く離れて──あとがきにかえて
文献
索引
内容説明
なぜ“他者”を尊重しなくてはならないのか―責任の論理と正義の倫理。ポスト・モダン時代の「可能なるリベラリズム」のために。
目次
第1部 責任の社会理論(コミュニケーションのなかの責任と道徳;構成主義的責任論とその限界)
第2部 社会的なるものへの懐疑(Why be social?―私たちはなぜ責任をとる「べき」なのか?;How to be(come) social?―ささやかなリベラルたちの生)
第3部 リベラリズムとその外部(“リベラル”たちの社会と“自由主義”のあいだ;可能なるリベラリズムのために―リベラリズムとその外部)
第4部 「社会的なるもの」の回帰(正義の居場所―社会の自由主義)
著者等紹介
北田暁大[キタダアキヒロ]
1971年神奈川県に生まれる。1998年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学社会情報研究所助教授(理論社会学、メディア史)
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