出版社内容情報
1954(昭和29)年3月、ビキニ環礁で、一隻のカツオ漁船が水爆実験にまきこまれました。世界で初めて水爆の被害を受け、数奇な運命をたどった第五福竜丸のドラマチックな一生を描きます。
内容説明
ぼくの名まえは第五福竜丸。カツオや、マグロをとるためにつくれられた漁船だ。なんども、日本一の漁をした。そして…、1954年3月1日―。ぼくは太平洋のビキニ環礁で、水爆実験にあう。そこで体じゅうに死の灰をあびた。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
とよぽん
17
1954年3月1日、水爆実験の犠牲になったマグロ漁船第五福竜丸と乗組員のものがたり。子供向けに丁寧に作られた絵本だ。赤坂三好さんの文・絵から、静かで強い憤りが伝わってくる。今度東京に行ったら、ぜひ第五福竜丸を見に行きたい。復員後、和歌山県の南藤さんが設計した渾身の船だった。核兵器、核実験の全廃をこれからも言い続けなければならないと思った。2017/07/08
ツキノ
17
第五福龍丸のことは聞いたことはあれど、きちんと本で読んだのははじめてだ。死の灰を浴びつつも、被災を打電しなかったのは、実験場近くにいることが見つかれば水爆実験の秘密をスパイしていたと疑われ、その場で沈められ消されてしまっていたかもしれない、というのにはショックを受けた。第五福龍丸を語り部にした力強い作品。船のたたずまいも、海の波も、関わる人々のどっしり生きている、という様子も素晴らしい。2015/09/03
とよぽん
16
都立第五福竜丸展示館にて。忘れてはいけない。マグロ漁船で働いていた人たち、その家族。無念の死、辛い病気。航海日誌、漁労日誌の詳細な記録。2019/04/17
ochatomo
16
第五福竜丸は100トン超の大型木造船であり、元はカツオの一本釣りの第七事代丸、後には東京水産大学の練習船はやぶさ丸であったと知った 1954年3月1日水爆実験“ブラボー”で危険区域100km内から60km東に離れた第五福竜丸は『西の空を、まっかにそめて、太陽があがった』のを見て、急ぎ逃げ帰って14日帰着 日本で原子力炉予算が通過した直後であった 1989刊2019/03/26
のり
15
新聞で、第五福竜丸の操舵手だった方が92さいで亡くなられのを見て読んでみた。ビキニ湾での原爆実験で焼津から出た漁船がひばくし、船長が死亡、他の方々も被爆するという惨事。まだ、核を保有する国は多い、平和な世の中になる努力を本気でしないと…。2019/02/27