内容説明
本書で公表される1937年から39年までのトーマス・マンの日記は、すでに刊行されている1933年から36年にいたる日記に直接つながるものであるが、それにもかかわらず、トーマス・マンの生涯と創作におけるまったく新しい一章の始まりを表すものになっている。スイスで過ごしたヨーロッパにおける亡命生活は終わりを迎える。すなわち、ヨーロッパでドイツ軍のオーストリア進駐、ミュンヒェン会談、チェコスロヴァキアの粉砕、第二次世界大戦の勃発という形で以前から予想され、危惧されていた激動と変動が現実となっていく間に、合衆国で新しい生活が始められ、プリンストンで新しい生活形式が見出されるのである。
目次
1937年
1938年
1939年
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
kero385
22
【1939年】 この年の9月1日に何が起こったのか?私たちは知っています。3月15日のナチス・ドイツによるチェコ・スロバキア解体など、日に日に不穏な気配がヨーロッパを覆ってくるのを感じながらも、無論日記を書いているマンも、記述されている人々もその日までそれを知る由もありません。度々マンも戦争は起こらないだろうという希望的な観測を日記に記しています。そのような予測のもと、マンは、6月6日64歳の誕生日に、ヨーロッパ旅行にでます。2026/09/17
kero385
22
【1937年】 1936年12月2日ドイツ国籍剝奪に続き、同月19日、ボン大学はマンの名誉博士号を取り消す旨を通告してきます。マンは国籍剝奪には泰然自若としていましたが、大学に対しては直ちに公開書簡を送ります。大学側は公表しませんでしたが、書簡は写しが広く配布され、1937年にスイスのオプレヒト社から大学の通告状とともに『往復書簡』として出版されました。国籍剥奪よりも自由の精神の砦であるべき大学から拒絶されたことに、マンは深い憤りと危惧を抱いたのでしょう。2026/08/28
kero385
21
【1938年】 1938年2月15日、4回目のアメリカ講演旅行の為にマンはスイス・キュスナハトの家を出ます。 ほぼ4か月に及ぶアメリカ全土をめぐる長丁場です。 3月12日マンはフィラデルフィアでのインタビュー途中で、ナチス・ドイツのオーストリア侵攻を知ります。 日記によると4月24日ビバリーヒルズからクーノ・フィドラーに宛てた手紙で、マンはアメリカ移住の決意を表明したようです。2026/09/09




