出版社内容情報
大勢の人たちに支えられてきた「世界最長の吊橋」誕生までの歩みと、完成後の橋守の人たちの努力や挑戦を、後世に語り継ぐ読みもの。
明石海峡大橋は夢の架け橋時代から、長い年月を経て平成10年4月に完成した。その間に語りつくせない多くの物語を生みだした。架橋20周年を迎えた現在、“世界遺産登録”の夢を盛り込んで、架橋の歴史と維持管理の努力を、多数の写真と文章で綴るドキュメント。
? 明石海峡大橋にかけた夢とロマン ?海峡に夢を託した日々?
・「夢のかけ橋」の始まり
・海峡に橋の夢を託し、暗中模索、試行錯誤にもえる日々が訪れる。明石架橋の始まり
? 夢への暗中模索の挑戦 ?試行錯誤にもえる日々?
・架橋技術の大きな壁が幾重にも立ちはだかる
・明石架橋の夢は大きくふくらんでいく
・鉄道併用橋から道路単独橋への転換点をむかえる
・着工のゴールが見えてきてゆとりがでてくる
? 夢は海峡を渡る ?夢が実り、さらなるロマンを追いつづける?
・世界一の長大吊橋実現の夢は、約半世紀の時を経て完結する
・やっとできあがった淡路島・四国への道
・多くの知的財産、技術成果を生んだ明石架橋工事の道のりをふり返る
? すずめ百まで橋を忘れず橋を巡る ?橋への想いはなおつのる?
・海外へ橋を求める旅を思い立つ
・橋は熟年語学留学をすすめる
・そして橋を巡る熟年語学留学6カ国の旅に出る
・余暇をみつけて橋を巡る
・橋を巡る旅を終えて、阪神・淡路大震災の構造物被害を考える
? 橋の夢とロマンはまだつづく ?世界一の橋から世界遺産登録への願望?
・未来を生きる人たちに託す新たなロマン
・まだある語り部の手持ちの資料(手からこぼれていく多くのデータ)
・経験技術の継承と発信
島田 喜十郎[シマダ キジュウロウ]
著・文・その他
内容説明
前著『明石海峡大橋―夢は海峡を渡る』の内容を網羅しつつ、大勢の人たちに支えられてきた「世界最長の吊橋」誕生までの歩み、夢のかけ橋時代の苦労やロマンに満ちたエピソードを振り返り、そして完成後の橋守の人たちの経年管理の努力や挑戦について、語り継ぐ読みものとしてまとめた労作。
目次
1 明石海峡大橋にかけた夢とロマン―海峡に夢を託した日々(「夢のかけ橋」の始まり;海峡に橋の夢を託し、暗中模索、試行錯誤にもえる日々が訪れる。明石架橋の始まり)
2 夢への暗中模索の挑戦―試行錯誤にもえる日々(架橋技術の大きな壁が幾重にも立ちはだかる;明石架橋の夢は大きくふくらんでいく;鉄道併用橋から道路単独橋への転換点を迎える;着工のゴールが見えてきてゆとりがでてくる)
3 夢は海峡を渡る―夢が実り、さらなるロマンを追いつづける(世界一の長大吊橋実現の夢は、約半世紀の時を経て完結する;やっとできあがった淡路島・四国への道;多くの知的財産、技術成果を生んだ明石架橋工事の道のりをふり返る)
4 すずめ百まで橋を忘れず橋を巡る―橋への想いはなおつのる(海外へ橋を求める旅を思い立つ;橋は熟年語学留学をすすめる;そして橋を巡る熟年語学留学6カ国の旅に出る;余暇をみつけて橋を巡る;橋を巡る旅を終えて、阪神・淡路大震災の構造物被害を考える)
5 橋の夢とロマンはまだつづく―世界一の橋から世界遺産登録への願望(未来を生きる人たちに託す新たなロマン;まだある語り部の手持ちの資料(手からこぼれていく多くのデータ)
経験技術の継承と発信)
著者等紹介
島田喜十郎[シマダキジュウロウ]
土木学会フェロー会員、工学博士、技術士。1931年大阪市に生まれる。京都大学大学院で橋梁工学を専攻。1959年夢のかけ橋(明石海峡大橋)建設提唱者、原口神戸市長を慕い神戸市に入る。都市計画街路の計画、神戸大橋等の港湾施設の建設をはじめ、明石海峡大橋の建設促進および架橋の可能性の技術調査業務に従事。阪神高速道路公団、本州四国連絡橋公団に出向し実務経験を積む。本州四国連絡橋公団には1973年から1979年の7年間勤務し、第一建設局では大鳴門橋の着工準備、明石海峡大橋の現地調査、構造検討業務を担当する。本社においては本四3ルートの設計基準類、技術的問題点の研究、検討業務にたずさわる。最後は垂水工事事務所長として、明石海峡大橋の実現にむけての業務に専念する。1992年神戸市定年。大阪工業大学非常勤講師、建設会社理事、橋梁会社技監、建設コンサルタント島田構造物研究所所長等を経て、現在、講演・執筆活動中。1998年より約10年間本四公団(現・本州四国連絡高速道路(株))の橋の科学館で橋のマイスターとして、週1回ボランティア解説員を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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