目次
そら豆の殻一せいに
海を知らぬ少女の前に
とびやすき葡萄の汁で
煙草くさき国語教師が
ころがりしカンカン帽を
ふるさとの訛りなくせし
駈けてきてふいにとまれば
空にまく種子選ばむと
太陽のなかに蒔きゆく
チエホフ祭のビラのはられし〔ほか〕
著者等紹介
葉名尻竜一[ハナジリリュウイチ]
1970年名古屋市生。立正大学大学院博士課程単位取得。現在、立正大学非常勤講師・國學院大学久我山中学高等学校非常勤講師ほか(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
335
演劇人(劇作家であり、演出家)、歌人、俳人として、そのいずれの分野でも全く独自の世界を切り開いた寺山修司。彼が残した軌跡は(ほとんど奇跡でもあるが)今もって測り知れない。私にとっての寺山は第一義に演劇なので、歌もまた演劇的なものを選ぶことになる。「大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ」、「売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき」、「間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子」ーいずれも『田園に死す』所収。何首でも引用したくなる。歌が巡る目くるめく永劫回帰の歌群である。2023/01/05
kaizen@名古屋de朝活読書会
76
#寺山修司 #短歌 #tanka とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐られし少年の詩を #返歌 つぶれやすき桃の汁しみ作るなかれ迷ひ揺れやすき少女の歌に #解説歌 可能性完全性と相反す完全なもの可能性ない 原石の方が美しいというと、研磨士には失礼なのかもしれない。可能性を美しいと思う人には仕方のないこと。2016/01/10
keroppi
72
世田谷文学館「あしたのジョー!展」にちなんで近くの図書館で「あしたのジョーと寺山修司」なる展示と本のコーナーを作っていた。「あしたのジョー」の歌詞が大きく張り出されていた。あの歌が耳に響く。この本にはもちろん「あしたのジョー」はないが、言葉の持つイメージの広がりに触れることが出来た。最後に掲載されている谷川俊太郎と妻の九条今日子のエッセイが悲しい。2021/04/02
だいだい(橙)
22
前から気になっていた。この本で寺山が肝硬変で早死にしたこと、それが長患いの結果だったと知った。若い時の病気がこじれてしまったのだ。父が戦死し、母が出稼ぎしていたため、孤独な子供時代を過ごした寺山。独特な歌風が魅力的。劇作家など他の顔を持つこと、短命だったので歌集は少ないが、単なる一人称の文学に留まらず、創造といってもいい奥の深い世界を見ることができる。この作者の評論も「寺山好き」が匂ってくるようで、面白い。 「マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」2022/09/19
ハルト
6
読了:◎ 三十九首おさめられた短歌は、どこまでも死の炎に焼かれた激しさと血の匂いがある。短歌の意味の説明と解説が付いていてわかりやすかったです。ただ少し選者と短歌の好みが違っていたかも。2019/11/07