出版社内容情報
長崎で3歳のときに入市被爆した竹下芙美さんは、被爆品や遺骨をたくさん収集してきました。小さな頭の骨のそばで赤いボタンが見つかったことも。被爆品から原爆のことを学んでほしい――芙美さんの願いを伝える写真絵本。
内容説明
長崎の被爆者竹下芙美さんと赤いボタンの物語。爆心地公園の土のなかから見つかった小さな頭の骨と赤いボタン。持ち主は原爆でなくなった女の子…。芙美さんは、被爆品や戦争の遺跡を残していこうと決めました。
著者等紹介
岡本央[オカモトサナカ]
写真家。宮城県大崎市生まれ。出版社勤務を経て、フリーの写真家に。人と風土をテーマにした数々のフォトルポルタージュを各誌で発表。長年、ライフワークとして「自然と風土に遊び、学び、働く世界の子どもたち」を撮影。国の鏡と呼ばれる子どもたちの日常を通して、その国の、そしてその地域の真の姿を探っている。中国残留邦人の取材をきっかけに、1990年代からは中国の子どもたちを撮影するようになり、日中友好の橋渡しとなる写真展を両国で開催。日本写真家協会会員、日中文化交流協会会員、こども環境学会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
☆よいこ
76
長崎原爆の絵本(写真絵本)▽1996年に長崎市の爆心地公園をつくりなおす工事があった際に、多くの遺品が発見された。当時3歳で7キロ離れた村に疎開していた竹下芙美(たけしたふみ)さんは放射能の影響を受けた。いま語り部をして、実際に遺品を手に取ってもらう活動をされている。触ることで実感できることがある。また、竹下さんが沖縄のひめゆりの塔を訪れた話もある▽全ふりがなあり。2023年刊2024/11/14
yomineko@ヴィタリにゃん
68
長崎の原爆の事が分かる良書中の良書だと思う。爆心地公園が作り直される時、被爆経験者の竹下さんは中に埋まっている遺品を長崎市の許可を得て掘り出す作業を始めた。素手で爪が割れても一心に掘った。ボタン、おはじき、台所用品などそれまで平和に暮らしていた人々の大切なものが次々と出て来る。これらは触って確かめられる様に展示されている戸いう。鉄も原型を留めていない凄まじさ。それでもまだ核を開発し使おうとする国があるとは人間は愚かすぎる。私も訪れた沖縄の平和記念公園。大勢の戦死者のお名前が刻まれていた。2023/10/13
ちえ
44
原爆の熱で一度溶けて塊になっている鉄やガラス、泡だった瓦がその凄まじさを伝えている。3歳で終戦、疎開先から長崎の家に戻り放射能被爆をしたことで、その後次々と病気になった竹下芙美さん。今でも爆心地公園の土の中から遺骨や遺品を掘り起こし続けている。その遺品は爆心地近くで母校の長崎市立銭座小学校の被爆資料展示室に寄贈され子供達が自由に触れられるようになっている。竹下さんは今でも学校で子供達に原爆を伝え続けている。「この先被爆体験者の代弁者となるのは被爆遺品や遺構です。だから残さなくてはならない」竹下さんの言葉。2023/08/30
たまきら
36
新刊コーナーより。こんな活動をされている方がいるんだ…。風化しないように、そして遺品を無駄にしないように努力されている方々を尊敬します。だって、忘れてしまうのを待っている人たち、さらにはわすれてしまえとけしかける人たちがたくさんいるのだから…。2023/09/28
毒兎真暗ミサ【副長】
27
長崎の原爆跡地から、赤いボタンと骨が見つかりました。11時2分で止まった時計。ガラス、鉄。その溶けてくっついた塊の写真を、絵本のように後世に綴る。悲しみですか?いいえ。来世を明るくするための大事な本。なくさないで。命の叫びを。芽を摘むように、目を瞑らないで。知っておいてほしいから。亡くさないでください。2023/11/22
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