出版社内容情報
日露戦争30周年に日本が沸いた春、その女の子たちは小学校に上がった。できたばかりの東京宝塚劇場の、華やかな少女歌劇団の公演に、彼女たちは夢中になった。彼女たちはウールのフリル付きの大きすぎるワンピースを着る、市電の走る大通りをスキップでわたる、家族でクリスマスのお祝いをする。しかし、少しずつでも確実に聞こえ始めたのは戦争の足音。冬のある日、軍服に軍刀と銃を持った兵隊が学校にやってきて、反乱軍が街を占拠したことを告げる。やがて、戦争が始まり、彼女たちの生活は少しずつ変わっていく。来るはずのオリンピックは来ず、憧れていた制服は国民服に取ってかわられ、夏休みには勤労奉仕をすることになった。それでも毎年、春は来て、彼女たちはひとつ大人になる。
ある時、彼女たちは東京宝塚劇場に集められる。いや、ここはもはや劇場ではない、中外火工品株式会社日比谷第一工場だ。彼女たちは今日からここで風船爆弾を作るのだ……。
膨大な記録や取材から掬い上げた無数の「彼女たちの声」を、ポエティックな長篇に織り上げた意欲作。
内容説明
戦争末期、女学生たちが東京宝塚劇場に集められた。今日から風船爆弾を製造するのだ。膨大な資料や取材を基に描く意欲的長編小説。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ケンイチミズバ
110
楮(こうぞ)やコンニャクイモの栽培が何を意味するのかわかってきます。和紙でできた本体、強度を保つための接着剤に使用されます。米国の秘密兵器が原爆で日本の秘密兵器は風船爆弾というあまりの落差。捕虜のB25搭乗員が偏西風のことを口にしなければ開発もされませんでした。女学校で宝塚で人生を謳歌していたはずのわたしは動員され、劇場が学園が接収され工場になり、働く。わたしは、空襲で病気で栄養失調で死んでも英霊にはなれません。疑問も弱音も口から出て来ることなく、信じて行動したわたしのことを今のわたしは忘れてはいけない。2024/05/28
fwhd8325
85
中脇初枝さんの「伝言」でも風船爆弾のことが描かれていました。この風船爆弾は、アメリカへ向かい6人の犠牲者を出した。戦争への怒り、失望はたくさん読んできました。その中でも、この作品はユニークです。詩を読んでいるかのような語りは、じわじわと染み入ってくる。それは、戦争がもたらした悲しみや、悲惨などを浮き彫りさせています。戦争は起きてはいけない、参加してもいけない。2024/06/28
tenori
73
『春が来る。桜の花が咲いて散る』幾度も繰り返されるフレーズは、時間の経過と同時に、春が来て桜が咲く=普遍的なもの、散る=忘却と死を表したものかもしれない。憧れの制服に袖を通せず、勤労奉仕の名のもとに風船爆弾の製造に勤しむ少女がいた。劇場を収用され慰問の名のもとに兵士の士気を高めることに明け暮れるタカラジェンヌがいた。戦争の中での加害への加担。彼女たちの『事実を知らされなかったことへの抵抗』が小林エリカという作家を通して描かれる。歴史とは都合の良いものだけではない。素晴らしい本に出会った。 2024/11/20
がらくたどん
66
散文詩のようなテキストから時にあどけなく時に大人びた「女の子」達の囁くような声が立ち昇り降り積もる。昭和十年、日露戦争三十周年の美しい春。関東大震災から十二年、瓦礫と屍の上に作られた「美しい」日本の靖国と皇居と素敵な「女の子の夢」の劇場を擁した日比谷界隈から始まる物語。主人公はたくさんの「わたし」。「わたしは」小学生になる「わたしは」記念の花火を見る。その声にそっと紛れ込む「わたしたち」が従える述部は例えば兵隊・天皇陛下・戦争そして手を腫らして造った大きな「風船」。アメリカまで飛んで6人の普通の人を殺した2024/06/13
いたろう
62
戦時中に、学徒動員で、風船爆弾を作らされた少女たちの、戦前から戦中、戦後までの物語。語り手は一人ではなく、雙葉高等女学校、跡見女学校、麹町高等女学校などに通った女性たちだが、「わたし」「わたしたち」というだけで、名前は出てこない。それだけでなく、話に登場する、明確に誰と分かる実在の人物についても、名前はあえて記されず、「わたし」によって語られる宝塚少女歌劇の少女のみ、一部、実名が出てくる。日本の戦中の罪を声高に糾弾する訳ではなく、淡々と紡がれる記録のようでいて、独特な文章は、まるで散文詩を読んでいるよう。2025/05/06