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NHKブックス
刺青とヌードの美術史―江戸から近代へ

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  • サイズ B6判/ページ数 235p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784140911099
  • NDC分類 702.1
  • Cコード C1370

内容説明

今日、雑誌や野外彫刻で目にする七頭身美人のヌードとは、全く異なる美の基準に立つ裸体表現が江戸時代に存在した。美人画や刺青画では肌の白さやきめ細かさが重視され、他方、生人形では日常の姿を写し取る究極の迫真性が追求され、生身の人間性を感じさせる淫靡な裸体芸術が花開いた。明治期、人格を除去し肉体を誇示した西洋ヌードを移入すると、伝統の解体や再接続を経て、新たな裸体美が模索される。従来の研究から抜け落ちた美術作品を多数俎上に載せ、日本美術史の書き換えを試みる画期的な論考。

目次

序章 ヌード大国・日本を問い直す
第1章 ヌードと裸体―二つの異なる美の基準
第2章 幕末に花開く裸体芸術
第3章 裸体芸術の辿った困難な道
第4章 裸体への視線―自然な裸体から性的身体へ
第5章 美術としての刺青
終章 裸体のゆくえ

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ヴェネツィア

395
多分に示唆に富む著述だった。たしかに日本では江戸時代以前は裸体は秘められたものではなく、半ば普通に目にするものであった。したがって、春画においても女性の胸や足、手などは性的なメルクマールたりえなかった。足指は時として反り返され交接時の恍惚感を表現していたが、それとても姿態であり足そのものではなかったのである。性器ばかりが極度に強調されたのもこの故ではなかろうか。近代以降、日本は西欧流のヌード観を取り入れ、受け入れてきた。そして今があるのだが、お陰で我々はヌードやフェティッシュなものを享受できるのである。2021/01/24

ハイランド

61
幕末明治の開国は、西洋と日本の文化の衝突でもあった。中世を経てヌードを描くにあたり、様々な意味付けが必須で、ヌードを唯の裸と分けて考えた西洋と、高温多湿の気候も関係しているだろうが、戸外での半裸が当たり前だが、それを凝視することを良しとしない文化の中、全裸ではない裸に即物的価値を込めた日本。どちらが上という議論は不毛だが、日本は結果西洋的道徳に飲み込まれていく。文明の衝突期に徒花のように様々なヌードが生まれ消えていった。特に生き人形に興味を持ったが多くが現存していないのが残念。著者初期の傑作と言える一冊。2018/07/01

syaori

39
日本において西洋的なヌードがどのように受容されてきたのか考察した本。「闇の中に住む彼女たちに取っては、ほのじろい顔一つあれば、胴体は必要がなかった」という『陰影礼賛』的な淫靡な、または滑稽な裸の表現から、肉体そのものに美を見いだすヌードへ。明治期の芸術家たちが西洋美術に接し、それを日本的なものの中に取り入れようと努める様子は苦労が偲ばれて勉強になりました。それにもかかわらず、結局日本は「ヌードを芸術として消化吸収した」とはいえないという作者の結論は全くそのとおりで、異文化を受容する難しさを感じました。2017/02/20

内島菫

29
日本人は、明治以前は人前で半裸や裸でいる機会が多く、また男女の体つきの違いに差をつけて見ることもなく、従って裸は性的な意味合いを持たず裸であってもじろじろと他人を見ないというマナーが当たり前に適用されていたという。裸が恥ずかしいとかエロいという見方は確かに一つの観念に過ぎず、貝殻を失ったヤドカリのように衣服を脱いだ人間は弱くみすぼらしいという感覚も一方である。西洋的なヌードのように、人格や人間性を剥奪したあくまで一個の物体としての肉体美を表しきってはいない日本の裸体表現を捉えるのは、思った以上に難しい。2016/11/14

gtn

18
女性の行水や混浴に無関心であった日本人。一方で湯屋が覗き見用の双眼鏡を貸し出したり、生人形の淫靡さに興味を示す。それを、見えていても見てはならぬものを凝視することによって発生するエロティシズムと著者は説く。つまり、単純に裸体を罪と見做す欧米とは異なり、日本人は一元的に捉えることなく理知的に対処できたといえる。文化の寛容さを示す一例であり、誇りに思う。2020/01/11

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