生活人新書
沖縄「戦後」ゼロ年

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  • サイズ 新書判/ページ数 189p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784140881507
  • NDC分類 219.9
  • Cコード C0231

内容説明

沖縄戦から六十年。戦後日本の「平和」は、戦争では「本土」の「捨て石」に、その後は米軍基地の「要石」にされた沖縄の犠牲があってのもの。この沖縄差別の現実を変えない限り、沖縄の「戦後」は永遠に「ゼロ」のままだ。著者は、家族らの戦争体験をたどり、米軍による占領の歴史を見つめ直す。軍隊は住民を守らない。節目の六十年の日本人に、おびただしい犠牲者の血が証し立てた「真実」を突きつける。

目次

第1部 沖縄戦と基地問題を考える(はじめに~「戦後六十年」を考える前提;私にとっての沖縄戦;沖縄戦を小説で書くこと;基地問題)
第2部 “癒しの島”幻想とナショナリズム―戦争・占領・基地・文化(アメリカの世界戦略と基地沖縄;能力主義教育の浸透と沖縄の教育運動;教科書をめぐる論点;イデオロギーとしての“癒し系”沖縄エンターテインメント;癒しの共同体・天皇制・宗教;沖縄戦の記憶と継承;沖縄文学と言葉)

著者等紹介

目取真俊[メドルマシュン]
小説家。1960年沖縄県今帰仁村生まれ。琉球大学法文学部国文科卒業。沖縄の自然と歴史、沖縄人としての生き方に心を寄せて作品を書き続ける。小説に『水滴』(九州芸術祭文学賞・芥川賞)『魂込め(まぶいぐみ)』(木山捷平賞・川端康成賞)がある
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感想・レビュー

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emi

48
たった189ページが全然進まない。沖縄は、ずっとずっと怒っている。米軍に、日本人に、天皇に。痛烈な批判と、戦争時のむごさ(米兵もだが日本兵の劣悪さも)と、そしてヤマトゥンチューの歴史や基地に無関心でありながら都合よく癒しを求めにやってくる傲慢さが、かなり手厳しく綴られる。米軍の撮った写真からは真実が写されていないことを一度でも疑ったことがあるかと。「沖縄に同情したり、関心を持ったり、連帯しにこなくていいから、基地を持ってけよ」彼らの本音が突き刺さる。最大の罪は、無関心なんだと深く深く心に刻まれた一冊。2016/11/27

翔亀

40
【沖縄63】目取真(めどるま)俊は怒っている。1960年生まれというから戦争体験はない。親が中高生の時に体験しているという世代だ。彼の父親は沖縄戦で14歳(県立第三中学)。例の鉄血勤皇隊で山岳部の戦闘に参加している(大田昌秀と同じだ)。母子家庭に育っていた母親は戦火の中を逃げまどっていた。本書は、その両親から聞かされた体験やその親兄弟の体験、それらを子どものときから聞いて育った沖縄戦がまず語られる。その内容は書くまでもないだろう。大田昌秀と同じだ(→「沖縄のこころ」)。目取真は、沖縄戦を多く小説の題材に↓2022/01/25

スミス市松

19
二〇〇五年に書かれたエッセイと二〇〇三年に受けたインタビューを収録。特にエッセイでは著者自身が父母や祖父母、近縁の親戚から聞いた沖縄戦の記憶、それを受けて小説を書き始めた大学生当時の経緯などを語っており、小説の副読本として興味深く読んだ。著者の場合、たとえば中上健次のような各々の作品間のつながりはほとんど見られない。しかし、作品の核となる戦争の記憶は――初期短篇から最新作『眼の森の奥』に至るまで――その多くが肉親の受けた体験に基づいており、彼にとって書くことは苦痛を伴う行為であったことが想像できる。2017/07/22

あかつき号

12
言葉にならない。沖縄への差別。沖縄にもある差別。言葉にできない。読むべし。2016/05/21

二人娘の父

8
発刊は05年とやや古いが沖縄本の古書漁りのなかで発見。目取真氏と言えば、単刀直入な物言いで「本土」へのまなざしも厳しい。タイトルにあるように「沖縄には戦後はない」という視座からの直言である。「本土」へ向ける厳しい批判は、同時に沖縄県民の知識人にも向けられる。特にみずから体験した教育界への批判的視点には、実体験に基づくものでもあり、納得の度合いは深い。目取真氏の著作を読むたびに思う「やりきれなさ」をどう消化したらいいのか。恐らく答えは無いのだが、切なく苦しい感情から抜け出せない。2023/11/19

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