出版社内容情報
空襲に明け暮れる太平洋戦争末期の日々を、文学の目と現実の目をないまぜつつ綴る日録。詩精神あふれる稀有の東京空襲体験記。
内容説明
空襲に明け暮れる太平洋戦争末期の日々を、文学の眼と現実の眼をないまぜつつ綴る日録。日々の記にあらわれた、さまざまなかなしみや喜びやユーモア、そして詩。その精神の体験記から、文学者内田百〓(けん)が一日一日を噛みしめる思いで生きた姿がうかびあがってくる。
目次
一機の空襲警報
空襲の皮切り
神田日本橋の空襲
東海の激震
深夜の警報頻り也
用水桶の厚氷
大晦日の夜空に響く待避信号の半鐘
鹿が食ふ様な物でお正月
残月と焼夷弾
サーチライトの光芒三十幾条〔ほか〕
著者等紹介
内田百〓[ウチダヒャッケン]
明治22年(1889)、岡山市に生まれる。六高を経て、大正3年、東京帝大独文科を卒業。この間、漱石の知遇を受け、門下の龍之介、草平らを識る。以後、陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学などで教鞭をとる。無気味な幻想を描く第一創作集『冥途』をはじめ、独自のユーモア溢れる随筆『百鬼園日記帖』など多くの著作がある。昭和46年4月、八十二歳で没
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
踊る猫
42
政治・政局の批判に向かうでもなく、自分の不幸を嘆くでもなく、淡々とその日その日が楽しかったことを書き綴る。傍から見ていれば悲惨な生活なのに、百鬼園先生からすればこれもまた一興といったような悠然とした佇まいの暮らしのように受け取れるのだ。戦時下にも確かに幸せを見い出せるだけの知性の持ち主がここに居た……改めて先生の凄味を思い知らされ、私も貧しい暮らしをしているけれど(先生と違って私はお酒は嗜まないけれど)この暮らし/人生を腹を括って受け容れようと思った次第だ。そう考えてみれば先生こそ「人生の教師」なのかも?2019/02/04
saga
40
東京で初めて空襲警報が発令された昭和19年11月1日から終戦直後の昭和20年8月21日までを生き抜いた百閒先生のレポートである。日記の体裁をとっているため、ルーティンの描写が多いが、空襲とそれに伴う東京での暮らしが目に浮かぶように描かれている。5/30の条で、焼夷弾により家財を焼かれた著者が、雑用の堆積が焼き払われてせいせいしたと言う部分は、なんだか悲しいやら可笑しいやら。先日ブラタモリでやっていた戦時下のワイン醸造も、7/5の条で「酒石酸を抜きたる生葡萄酒」と出てきたので、思わずニヤリ。2019/04/20
澤水月
24
「機体や翼の裏側が下で燃えてゐる町の燄の色をうつし赤く染まつて、ゐもりの腹の様である」自宅が空襲で焼かれる時のこの観察…! 「眠りながら聞く空襲警報は甘い」。徴兵されていない勤め人は自宅空襲受けてもすぐ省線電車で通勤したとは驚き。310大空襲より後、525山手大空襲で焼け出され目白の籠と酒瓶手に逃げる夜の描写は圧巻。全体に飄々、「団子腹にて颯爽と出社す。雨大いに降り出す。夕帰る」。警戒警報間隔狭まり不眠、乏しい食糧に当たり下痢、栄養失調で脚に押した指が戻らぬほどの浮腫などジワジワくる戦下苦痛の緻密さ凄い→2022/06/25
ikedama99
18
寝床で読む本。日記形式で綴られる東京での内田百閒の生活は、リアルなのになぜか笑えそうな部分もあって・・何か不思議な感じで読んでいた。とにかくメモや記録を徹底的に残す人なのだとも思った。このような私小説的な内容は悪くはないと思った。続きの戦後日記は、以前に読んだ記憶があるがその本はどこにいったか不明。あるかもしれないし、引っ越し騒動でなくなったかもしれない。探そうか? 2021/08/11
ネムル
16
なんだかんだ、ほぼほぼ空襲と酒の話題しかないあたり、流石はひゃっけん先生である。我が家が焼けるを見つつ、しかし「昨夜気分進まず飲み残した一合の酒を一升罎のまま持ち廻つた。これ丈はいくら手がふさがつてゐても捨てていくわけには行かない。逃げ廻る途中苦しくなるとポケットに入れて来たコツプに家内についで貰つて一ぱい飲んだ。土手の道ばたに行つてからも時時飲み、朝明かるくなつてからその小さなコツプに一ぱい半飲んでお仕舞いになつた。昨夜は余りうまくなかつたが残りの一合はこんなにうまい酒は無いと思つた」、大好き。2018/08/21
-
- 和書
- ブブノワさんの手紙