中公新書ラクレ<br> 純文学とは何か

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中公新書ラクレ
純文学とは何か

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  • サイズ 新書判/ページ数 224p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121506047
  • NDC分類 904
  • Cコード C1295

出版社内容情報

芥川賞と直木賞の候補作選びにはじまり、村上春樹はノーベル文学賞をいつとるのか、など、季節ごとに繰り返される文学的時事ネタがある。話題の根底にあるのは、「文学」そのものへの関心であり、境界がみえなくなりつつあるといわれる「純文学」と「大衆文学」の違いである。しかし、本当に「純文学」と「大衆文学」の区別はなくなったのだろうか。

「母子寮前」で第一四四回芥川賞(平成二二年下期)、「ヌエのいた家」で第一五二回芥川賞(平成二六年下期)の候補になったこともある著者が、『久米正雄伝』で「純文学では食べていけない=純文学余技説」を論じ、『芥川賞の偏差値』で詳細なデータブックをつくり、いま、満を持してはなつ、「純文学とは何か」。

日本における「純文学」と「大衆文学」それぞれの歴史を、過去の具体的な作品をとりあげながら考察する。また、専門分野である比較文学の立場から、ノーベル文学賞をはじめとする海外での文学賞のあり方や、とくに特徴的な英語圏における「文学」の定義づけ、そして映画、コミック、ラノベなどのジャンルにおける今日的「文学」のあり方を描く。

内容説明

「純文学」とは何か?大衆文学、通俗小説とどう違うのか。芥川賞・直木賞とは何か。海外に純文学と大衆文学の区別がないというのは本当か。文藝雑誌に掲載されると純文学というのは本当か。文学の敵とは誰か。日本だけでなく海外文学にも目配りし、豊富な事例をもってこうした疑問に快刀乱麻を断つごとく答える、かつてない文学入門。

目次

第1章 上下関係
第2章 詩の優位
第3章 日本文学史の中の純文学
第4章 日本の「歴史小説」
第5章 謎の直木賞
第6章 英国小説の謎
第7章 少女小説と児童文学とラノベ
第8章 韻文・映画・音楽の純・通俗
第9章 私小説について
終章 未来の「文学」

著者等紹介

小谷野敦[コヤノアツシ]
1962年(昭和37)茨城県生まれ、埼玉県育ち。東京大学文学部英文科卒業、同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士(比較文学)。大阪大学言語文化部助教授、国際日本文化研究センター客員助教授などを経て、文筆業。著書多数。小説に『母子寮前』(芥川賞候補)などがある。2002年、『聖母のいない国』でサントリー学芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

harass

81
毎年の行事である、村上春樹のノーベル賞受賞騒動の話から、純文学とその対になる通俗小説、近代小説と以前の小説、詩歌、各国の違いなどをざっくばらんに語る新書。歴史小説と時代小説の違い、中間小説などなど。いつもの著者のトリビア的な知識が繰り広げられる。結論として、小説の技法はもうやり尽くしているとあり、非常に納得。消え行くものかもしれない。ラノベもでてきて驚く。作品名や作家名の説明が少ないのである程度知識がある人向け。少し物足りなさもあるが、神と同等に断言するほど不遜な評者はもうありえないのかもしれない。2017/12/11

蔦屋重三郎そっくりおじさん・寺

69
夢中で読んだ。純文学と通俗文学。歴史小説についてもページを割かれている。最後は私小説について。文学を取り巻く過去と現在のあれこれを知るのに良い1冊だと思う。第五章にメジャー出版社の出す総合誌、文藝誌、中間小説誌、週刊誌の一覧がある。集英社の部分に「週刊誌なし」とあるが、週刊プレイボーイがあると思うのだが(毛色が違うのであえて数えなかったか?)。私も昔は筒井康隆ファンで、筒井の短編『小説「私小説」』等を読んで、私小説を読んだ事もないのに私小説を軽蔑していた。西村賢太のファンになった今となっては恥ずかしい。2017/11/10

tomi

32
「純文学」とは何なのか? シェイクスピアや源氏物語から現代文学のみならず̪、詩や児童文学、漫画、アニメ、映画、音楽といったジャンルを超えて、縦横無尽に純か通俗かを論じる。色々詰込んだために散漫な感も受けるが、読みやすく面白い。私小説に批判的な批評家は触れたくない過去を持っている、という指摘など興味深い。戦後の大衆文学を代表する松本清張が芥川賞作家であるように、純文学作家と言われる作家の作品が純文学とは限らないのは当然ですが、大江健三郎や古井由吉といった中間小説誌に書かない作家を純文学作家としたほうが→2020/11/20

阿部義彦

27
不思議な純文学というカテゴリー、著者は純文学←→通俗小説という大枠そして、中間小説(もはや死語?いや私は親しんでましたが)という言い方も援用してかなり大胆に決めつけてますが、これがかなり核心をついていて、初心者にもイメージがつかめるかと思います。時代ものには私は疎いので(時代小説嫌いのSF好きと書かれた通り)第5章からは俄然と面白くなり、適当な直木賞などはその通りと思い、外国の文学(ポール・ギャリコが典型的通俗作家!)に関することから私小説論(皆んな裸踊りが好きなのだ!至言)、私怨もスパイス効いてる!2017/11/16

禿童子

21
「純文学」の反対語は「通俗文学」。純文学の定義をめぐる考察と、実際にどの作家が純文学作家であるか、というよりも同じ作家でも作品によって「純」もあれば「通俗」もあるという点に特に言及する。小谷野さんは「純文学」=「私小説」と主張しているように読める。結論としては村上春樹も含めて現代は通俗文学に覆われて純文学は絶滅寸前。未来は文学そのものも存続するか疑問というやや悲観的な話も。議論というより小咄、エピソードで面白さで読ませる本になっている。通俗をけなすというよりも、失われゆく私小説への哀惜の念というところか。2018/10/27

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