出版社内容情報
藤原道長が栄華を極めていた時代、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。千年前の日本が直面した危機を検証する。
内容説明
藤原道長が栄華の絶頂にあった一〇一九年、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。東アジアの秩序が揺らぐ状況下、中国東北部の女真族(刀伊)が海賊化し、朝鮮半島を経て日本に侵攻したのだ。道長の甥で大宰府在任の藤原隆家は、有力武者を統率して奮闘。刀伊を撃退するも死傷者・拉致被害者は多数に上った。当時の軍制をふまえて、平安時代最大の対外危機を検証し、武士台頭以前の戦闘の実態を明らかにする。
目次
序章 海の日本史(異国文字の謎;女真文字の解明に向けて ほか)
第1章 女真・高麗、そして日本(東アジア地域の諸相;日本国の内と外 ほか)
第2章 刀伊来襲の衝撃(王朝の栄華と不安;刀伊来襲の予兆 ほか)
第3章 外交の危機と王朝武者(武力動員の特質;「ヤムゴトナキ武者」たちの来歴 ほか)
第4章 異賊侵攻の諸相(囚われ人の声を聞く;海禁と異域観 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
118
遣唐使が廃止され外交が失われていた平安後期の島国日本だからこそ許された幸福な時代だったためか、刀伊の入寇は歴史教科書でも僅かに言及される程度だ。しかし事件の背後には大陸での民族や国家の興亡があり、そこで発生した戦争の結果がバタフライ効果のように女真海賊の侵攻として現れた経緯が理解できる。一方で藤原道長を頂点とする都の中央政権は国際政治など考えてもおらず、その意味を全く理解できなかった。通信と交通手段が飛躍的に発達した今日も、日本人の意識はあまり変わっていない。外交と軍事を学ぶ歴史的必要性を考えさせられる。2021/11/20
まーくん
102
恥ずかしながら「刀伊の入寇」知りませんでした。高校日本史で簡単に触れるらしいが、きっと居眠り。摂関家が栄華を極め王朝文化華やかし頃の1019年3月、中国東北部の女真族が対馬・壱岐を侵した後、北九州に攻め込んできた。それに対し大宰府権帥藤原隆家を総指揮官に応戦・撃退。この事件では多くの死者が出たほか奴隷にするため多数の成年男女が拉致された。隆家は中関白家の次男であの道長の甥にあたるが、両者はライバル関係。暴れん坊・隆家は一度は配流されている。女真族は大陸で契丹(遼)に圧迫され南下、朝鮮半島で新羅に代った⇒2023/10/30
南北
74
読友さん本。1019年に九州北岸を襲撃してきた女真人を日本が藤原隆家を総司令官として撃退した事件。11世紀に満州にいた女真人は契丹(遼)の支配下で半農・半牧の生活をしていたが、その中で海賊行為を行うことで活路を見いだす人たちが起こした事件である。当時の国際情勢から解説し、事件を詳細に記述しているだけでなく、女真人に拉致された人々の証言を掲載しているところが興味深く感じた。律令制で農民を徴用する制度から武装する集団が専業化していく途中段階のこの事件について知ることができたのはよかった。2023/11/10
kk
50
今からちょうど千年ほど昔、はるばる満州くんだりから女真族が本邦九州北部に侵寇してきた「刀伊の入寇」。本書は、その国際関係的な背景や、迎え撃つ我が国軍制の時代的な特徴などを吟味しながら、この対外危機とそれへの対応が、古代から中世へと進む我が国の歩みの中で、どのように位置づけられるのか、どのような意味を持ったのかを論じています。比較的マイナーな事件を取り上げた、どちらかというと地味な本ですが、著者の問題意識の深さと眼差しの鋭さには大いに感心させられました。2021/10/11
みこ
49
こういう一冊の本としてまとまるのかというタイトルには逆に惹かれてしまう。日本史の授業の中でも歴史用語の一つとして言葉を丸暗記した程度の認識しかなかった事件を当時の東アジア情勢と国内の情勢を照らし合わせながら解説してくれる。清盛や頼朝が登場するのはこの100年以上も後のことだが、武士による地元の軍事防衛など中世の下地は既にこのころからあったようだ。規律を破って家族を助けるために動いた長峯諸近の熱い行動に胸が打たれる。2021/10/06