出版社内容情報
本書は、明治初期の知識人として名高い中村正直について全体的な理解を試みた初の研究である。
生前は福澤諭吉と並ぶ名声を誇り、現在も高校の歴史教科書に載るほどだが、人物像は忘却の中にある。
彼の儒者としての歩みを辿りつつ、正直が、新時代にふさわしい「敬天愛人」の教説を発展させ、教育・著作に携わっていたことを示し、日本の近代化が抱えていた西洋文明と日本文化との融合、そして相克の難問を浮かび上がらせる。
内容説明
明治維新に直面した大儒者は、西洋思想やキリスト教をどのように受け止めたのか。明治初期の大ベストセラー『西国立志編』と『自由之理』を中村自身の思想作品として読むことで、日本近代思想史に新たな照明を与える。
目次
第1章 学問所時代における「学者」論―「興学校」の論理
第2章 「敬天愛人」の思想―幕末から明治へ
第3章 「上帝」の実在―『請質所聞』における諸論点
第4章 「品行」と「一新」―『西国立志編』の「文明」論
第5章 「天」と「自由」―『自由之理』の秩序構想
第6章 「天」と「教」―「教法」の多様性
著者等紹介
李セボン[リセボン]
1980年生まれ。延世大学校政治外交学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)、日本思想史専攻。論文「朱子学者阪谷素における「理」と天皇」(『思想史研究』2010年9月)で政治思想学会研究奨励賞受賞。現在、延世大学国学研究院、HK研究教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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バルジ
4
恐らく今後の中村正直研究の参照点となり得る金字塔的研究。キリスト教理解や『自由之理』翻訳において現在的視点から「不徹底さ」を批判されがちな中村正直を終世変わらぬ「天」への視座を描き出す。中村正直は根本的に「儒者」である。後に見せる宗教への寛容姿勢もその修めた儒学に基づく。彼は「天」を信じ人の「善」は与えられ恢復するものとして終世その修養を説く。しかし「天」は普遍的なものであり、善を恢復出来るのなら仏教でもキリスト教でも構わない。ここに大きな特徴があるであろう。不寛容が跋扈する今こそ読まれるべき一冊である。2024/08/12
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