内容説明
二つの墓地のあいだを、墓場クリークが流れていた。いい鱒がたくさんいて、夏の日の葬送行列のようにゆるやかに流れていた。―涼やかで苦みのある笑いと、神話めいた深い静けさ。街に、自然に、そして歴史のただなかに、失われた“アメリカの鱒釣り”の姿を探す47の物語。大仰さを一切遠ざけた軽やかなことばで、まったく新しいアメリカ文学を打ちたてたブローティガンの最高傑作。
著者等紹介
ブローティガン,リチャード[ブローティガン,リチャード][Brautigan,Richard]
1935年ワシントン州タコマ生まれ。’56年、ケルアック、ギンズバーグらビート・ジェネレーションの作家が集うサンフランシスコへ。だが彼らとは一線を画し、7年におよぶ長い詩作の時間をすごす。’60年代はじめ、初の小説『アメリカの鱒釣り』を執筆。’84年、ピストル自殺
藤本和子[フジモトカズコ]
1939年東京生れ
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
191
この小説は一貫したプロットがあるような、ないような一風変わったスタイルだ。基本的には、主として西海岸のあちこちで鱒を釣る話なのだが。能天気といえば、まあそうだ。ただ、この小説の書かれた1961,2年頃、アメリカは大きな転換期にさしかかっていた。J・F・ケネディが華々しく大統領に就任したのが1961年。すなわち、ヴェトナムに本格的に軍事介入していく年でもあった。ヒッピーやボブ・ディランの登場も間もなくだ。ブローディガンは反戦、反米を叫ぶことはないが、隠者的に世に背を向けつつ「アメリカの」鱒釣りを書いたのだ。2013/11/23
nobi
97
少し粗野で心躍る釣り物語を想って読み始めて、少しく混乱した。劇画風の波長に同調でき始めたかなと思ったのは40頁近くになってから。いってしまってる。あるいはシュール。ただシュールという言葉から想起される幻想的という美的なイメージとはちょっと違う。もっとしがない現実、的。アメリカン・ジョーク的。でありつつ釣りの手応えもクリークの風景も解体する。自然との交感といった情感を吹き飛ばしてしまう。匂いも実存主義も擬人化してしまう。それが作為的には見えない。平板に見えた現実も意外な連環あって結構笑えるって示してくれる。2017/09/17
(C17H26O4)
82
意味を読むことを端から放棄する。心地よいな。隙間があって手応えがないような乾いた文章に慰められる。憂鬱の中に浮かぶユーモアに楽になる。こういうふうな文章で、こういうふうに日記とか本の感想を書けたらいいのに。と戯けたことを思う。2022/08/14
NAO
82
鱒釣りについて語りながら、鱒釣りを取り囲む環境、そして自然や人の生き方など、すでに失われてしまったものを象徴的に描いている。その描写は終末的な雰囲気を漂わせているが、それなのになぜかドライで、悲壮感にあふれているわけでもなく、物質主義や文明に対する批判の調子がこめられているわけでもない。 これは、諦めというのともまたちょっと違う。終末であるということはちゃんと分かっていて、でもそういった状況を冷静に受け止め、別のものに置き換えて、返してくる。それは、新しい生き方への模索だろうか。⇒2019/06/04
フーシェ
76
★★★?? “アメリカの鱒釣り”は擬人化された存在であるとともに、ホテルであり、平和行進であり、ペン先であり、ちんちくりん?もいる。47篇の掌編からなる作品だが、物語の筋はほとんどなく、言葉や文脈は非連続的で小説というよりは散文詩だ。幻想的かつシュールな内容に、自分は筒井康隆の作品を思い出した。訳者のあとがきを読むと(これは作者に寄り添った素晴らしいあとがきだ!)70年代アメリカ文芸の地平を切り開いた作品だとわかるが、意味を読み取ろうとするな、感じろ、ということか、評価は…読んでみてください!2018/06/06