内容説明
日本の女子教育の近代化に生涯を捧げ、新五千円札の肖像画に選定された津田梅子(1864~1929)。満六歳だった梅子は、日本最初の女子留学生として岩倉使節団に随行して渡米、十一年間米国に暮らす。後年、梅子が創設した津田塾大学(女子英学塾)の倉庫から、おびただしい数の手紙が発見される。それは梅子と、留学先の里親アデリン・ランマンとの往復書簡の束であった。完全にアメリカナイズされた自身と日本文化とのギャップ、開明的な政治家・伊藤博文一家との交流などが生々しく記された手紙の真意を、津田塾大学出身の著者が自らの渡米経験も踏まえて読み解いていく。第42回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した傑作評伝。
著者等紹介
大庭みな子[オオバミナコ] 
1930年(昭和5年)11月11日‐2007年(平成19年)5月24日、享年76。東京都出身、1968年『三匹の蟹』で第59回芥川賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ミーママ
44
          
            図書館の本📚 7歳にしてアメリカ留学する‼️ そんな幼い子が明治4年に行くなんて凄い。 娘が彼女の設立した大学の入学式の日に彼女のことを学長が話してくれたことを思い出した。 私は英語が苦手だったけど、娘は彼女に影響を受け留学し、仕事でも英語が役に立ってるようだ。 津田梅子の教えを学んだ人が多く羽ばたいてくれているようだ‼️ 2021-22021/01/07
          
        ぴくみゅう
6
          
            重量の軽さに魅力を感じ購入。帰省のお供に。明治初期、6歳でアメリカに留学し、帰国後女性教育に力を尽くした。大山捨松・アリス同様にステイ先のランマン夫妻との手紙が多く残されており、梅子の目から見た当時の日米の社会風俗などが率直に語られている。社会の変化のスピードに腹立たしく思いつつ、女性教育のために自分のできることを一歩(と言ってもその歩幅は常人とは異なる)ずつ進めていく。明治期の政治家らとの交流(考えの差はあれ教育を重視していた)、梅子の死後、二次対戦中の津田塾のことなど。1990年発刊。2025/01/09
          
        

              
              
              
              

