出版社内容情報
大澤真幸・熊野純彦両氏の責任編集による新たな叢書、ついに刊行開始! 「自らの思考を極限までつき詰めた思想家」たちの、思想の根源に迫る決定版。21世紀のいま、この困難な時代を乗り越えるには、まさにこれらの極限にまで到達した思想こそ、参照に値するだろう。
本書は、バタイユの思想を、一貫して「エコノミー」という観点から読解する。「エコノミー」とは、単に経済をさす概念ではない。人間は計算も見返りもなく贈与することができる。このような消尽も含めた人間の全体性の考察こそがバタイユのエコノミー論だった。人間の意識が極限に至ることで、生産から消費へ、有用性から栄光へ、〈俗なるもの〉から〈聖なるもの〉へと転倒が生じるという、バタイユ思想の根幹を明らかにする従来にない鮮烈な論考!
内容説明
浪費へ、栄光へ、“聖なるもの”へ、エコノミー論の精髄!
目次
序章 バタイユのエコノミー論
第1章 エコノミー論の生成
第2章 エコノミー論の軌跡
第3章 エコノミー論の探究
第4章 エコノミー論の展開
終章 バタイユの贈与論
補論 エコノミー概念小史
著者等紹介
佐々木雄大[ササキユウタ]
1978年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。現在、日本女子大学人間社会学部講師。専攻は哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Bartleby
10
贈与の不可能性と、それを乗り越える思考実験としての“至高性”について論じた本。博論を改めたものらしい。ポトラッチに代表されるように贈与は自身の権威を高めると同時に、資本主義的等価交換(ほんとは違うのだけど)により経済が痩せ細るのを防ぐためのリスクヘッジでもある。しかし、この贈与もまた等価交換に回収されてしまう。そこでバタイユが考えたのが「消尽」「死」「供犠」を賭けた至高性による贈与の完成。著者は「消尽する主体の態勢」と書く。思うに、純粋な贈与に近づくための方法は2つある。1つは忘我。もう1つはひたすら…2023/01/09
かんがく
9
浪費、性、暴力、汚穢などマイナスイメージとともに語られがちな概念を改めて捉えなおすバタイユの思想は、今の私にとても刺さる。第三章から時間など概念的な話がテーマになり理解しきれなかったが、以前挑戦して挫折したちくま新書のバタイユ本よりは面白く読めた。2022/03/17
Mealla0v0
5
補論「エコノミー小史」を読んでから本論を読むという順番がオススメ。オイコノミアがエコノミーに変わっていくなかで元々のポテンシャルが縮減されていった…生のエネルギーという問題が経済問題に切り詰められていったというバタイユの問題意識を歴史的に位置づけるために。限定エコノミー=「経済」に対して、一般エコノミー=無限の贈与、生きることの奔流が対置される。バタイユを哲学的に跡付ける論考であり、資本主義を打破するための消尽の意義が理解できる。補論はアガンベン『王国と栄光』を理解する手助けにもなる。2021/11/03
山根佑斗
2
素晴らしかった。 名高い「補論」は未読だが、一旦区切り。 一般エコノミーを考えるためには、有用性の連関から絶したものを想定しなくてはならない。それは有用ではない供犠であり、贈与であり、「不可能なもの」である。しかし、有用性の側にある学問が、いかにしてその「不可能なもの」を思考しうるのか、、、、 というような、議論のクリアな筋道を持つ本だった2023/03/02
不純文學交遊録
2
エコノミー(経済学)は端的に言えばお金に関する学問だが、そもそも人はなぜ金(マネー&ゴールド)に魅了されるのだろうか…根源的な問いに私は関心がある。人類の経済活動はエコロジー(生態学)とも不可分だ。エコノミーにエコロジーの視点をもった思想家がジョルジュ・バタイユである。経済活動の源は過剰な太陽エネルギーであり、人類は生存に必要以上の物資を生産する。余剰はいつか蕩尽せねばならない。その究極は戦争だが、破滅を回避するために贈与の可能性を示す。人新世の道標は、マルクスではなくバタイユかもしれない。2021/12/29