講談社現代新書<br> 戦乱と民衆

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講談社現代新書
戦乱と民衆

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  • サイズ 新書判/ページ数 204p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784065122181
  • NDC分類 210.04
  • Cコード C0221

出版社内容情報

白村江、応仁の乱、大坂の陣、禁門の変。日本史上の争乱はなぜ起きたのか。戦いを生き延びた民衆の姿とは? 白熱の討論、新書化!歴史書ブームの立役者が集まった!
日本史の風雲児たちによる白熱の討論!

民衆はいつも戦乱の被害者なのか?
白村江の戦い、応仁の乱、大坂の陣、禁門の変……
民衆はいかにサバイバルしたのか? 戦乱はチャンスだったのか?
『京都ぎらい』の井上章一氏も交え、国際日本文化研究センター(日文研)の人気学者たちが、
英雄中心の歴史とは異なる、民衆を主語とした日本史を描き出す。

・日本史上最大の敗戦、白村江の戦いの知られざる真相
・一揆は「反権力」、足軽は「権力の手先」なのか?
・大坂の陣とアントワープの大虐殺、その相違点は?
・維新後の京都復興を遅らせた金融システムの破綻
・町家を壊しても、祇園祭を守った戦時体制とは?
・略奪はいつ始まったのか?
・民衆の被害に国家は関心を持っていたか……

話題沸騰の日文研シンポジウム「日本史の戦乱と民衆」に、後日おこなわれた座談会を加えた、待望の新書化!


倉本 一宏[クラモト カズヒロ]
著・文・その他

磯田 道史[イソダ ミチフミ]
著・文・その他

フレデリック・クレインス[フレデリック クレインス]
著・文・その他

呉座 勇一[ゴザ ユウイチ]
著・文・その他

内容説明

白村江、応仁の乱、大坂の陣、禁門の変…民衆はいかにサバイバルしたのか?国際日本文化研究センターの人気学者たちが描く、英雄中心の歴史とは異なる、民衆を主語とした日本史!

目次

第1部 日本史の戦乱と民衆―基調報告(白村江の戦いと民衆(倉本一宏)
応仁の乱と足軽(呉座勇一)
オランダ人が見た大坂の陣(フレデリック・クレインス) ほか)
第2部 歴史を見る視点―一般公開座談会(倉本一宏+呉座勇一+フレデリック・クレインス+磯田道史+(司会)石上阿希)(戸籍から読み解く壬申の乱;歴史を見る「視点」の重要性;女性の被害はどう扱われているのか ほか)
第3部 生き延びる民衆・チャンスとしての戦乱―座談会(倉本一宏+呉座勇一+フレデリック・クレインス+磯田道史+井上章一+榎本渉+石上阿希)(『万葉集』に防人の声を聴く;民衆に冷たい室町の権力;日本とヨーロッパの戦争における類似点と相違点 ほか)

著者等紹介

磯田道史[イソダミチフミ]
1970年、岡山県生まれ。国際日本文化研究センター准教授。専門は日本近世・近代史、社会経済史

倉本一宏[クラモトカズヒロ]
1958年、三重県生まれ。国際日本文化研究センター教授。専門は日本古代政治史、古記録学

クレインス,フレデリック[クレインス,フレデリック] [Cryns,Frederik]
1970年、ベルギー生まれ。国際日本文化研究センター准教授。専門は日欧交渉史

呉座勇一[ゴザユウイチ]
1980年、東京都生まれ。国際日本文化研究センター助教。専門は日本中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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鉄之助

234
4人の歴史学者が行った講演会の抄録。幕末、長州が会津、薩摩藩などの連合軍と戦い京都のほとんどが焼失した「禁門の変」。これまで町の約6割が焼けた、とされていたのが、発見資料から町屋27,513軒、髪結い床(床屋・美容院)132軒など細かい数字があきらかになった。最後の一軒まで執念をもって勘定したこのデータは凄い! これは「京の町奉行所が町年寄などから上がった被害情報を直ちに書き上げるシステムが、江戸時代を通じて出来上がっていた」からだ、という磯田道史氏の指摘に感動した。2020/10/07

佐島楓

69
日本の歴史は時の権力者によって編まれてきた経緯があり、このような無名の人々の記録を参考にする研究は比較的最近のものであろう。これからはこうした視点がメインストリームとなってほしいという思いを強くした。また民衆=虐げられた人々というわけでも必ずしもなかったという概念は皆人間であったということであり、恐ろしくもあるが納得のいくものであった。2018/08/31

樋口佳之

26
たとえば新選組の視点に立って京都の幕末を見る人はきわめて多いのに、先ほどご紹介したような、夏の暑い盛りに腐った死体をひっくり返してお金を集め、新京極にお店を出した男の視点というのは、一切ない(笑)。しかし、彼にとってはそれこそが「維新史」/幕末の京都の民衆は逃げていません。もう一つ、幕末になると、戦いに参加する立派な武士たちは、少なくとも内戦に関しては暴行と略奪をしていないわけです。どこかで時代が切り替わっているんです。民衆が逃げなくなり、武士たちが略奪と暴行をしなくなる「境目」はいったいいつ2018/09/20

やまやま

25
倉本氏の万葉集についての説明は新鮮であった。確かに、和歌はどこまでポピュラーなものであっただろうか。当時の民衆が和歌という形態で考えや感情を表現できたのかという点は「よくわからない」が、もし感情を記録に残すとすれば、情愛が大きなウェートを占めることは何となく納得できる。白村江については、規模の想像が難しかった。福岡ー釜山250kmを手漕ぎで何万人もの人が渡っていくというのは、当時の日本の人口は数百万人と予想されているし、造船技術といっても遣唐使船が難破を続けたことを思うと、どういう部隊であっただろうか? 2020/10/07

こも 零細企業営業

20
白村江の戦いでは徴兵された敗残兵は打ち捨てられ、壬申の乱では怪我人の記述があった。平安時代は平和であったが応仁の乱では民衆はそっちのけで内乱に明け暮れる。戦国時代になると武家の下請けの報酬として乱取りの加害者と被害者へと‥ 日本の庶民は被害者であり、加害者でもあった。そして、権力者は庶民への関心は薄かった。それを忘れてはいけないと思わされた。2019/01/27

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