出版社内容情報
大江 健三郎[オオエ ケンザブロウ]
著・文・その他
内容説明
作家自身を思わせる主人公の長江古義人は、三・一一後の動揺が続くなか「晩年様式集」と題する文章を書きだす。妻、娘、妹の「三人の女たち」からの反論。未曾有の社会的危機と自らの老いへの苦悩。少なくなる時間のなかで次世代に送る謎めいた詩。震災後の厳しい現実から希望を見出す、著者「最後の小説」。
著者等紹介
大江健三郎[オオエケンザブロウ]
1935年愛媛県生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。大学在学中の’57年「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。以後、’58年「飼育」で芥川賞、’64年『個人的な体験』で新潮社文学賞、’67年『万延元年のフットボール』で谷崎潤一郎賞、’73年『洪水はわが魂に及び』で野間文芸賞、’83年『「雨の木」を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛次郎賞、’84年「河馬に噛まれる」で川端康成文学賞、’90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞、’94年には日本人として二人目のノーベル文学賞を受賞する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
こうすけ
25
ヒロシマノートをはじめ、核と向き合い続けてきた大江が、3.11を描いた遺作。最後、最後、と言ってきて、これが本当の最後の小説。自作の引用もふんだんだし、伊丹十三やサイードなど、かつての友人たちについての言及も盛りだくさんで、まさに集大成。その最後のページの、最後の文章がまたすごい。人生そのものが作品に。見事な幕引き。2025/01/06
ASnowyHeron
25
自分は初めてこの作家の作品を読んだせいもあるのだろうが、作者を模した主人公やいろいろな話がこんがらがって、なにがなんだがわからなかった。2017/03/07
ちぇけら
21
残された時間はそう長くないのだという感覚。さんざん想定されていた「想定外」の事故が起きてもなお原子力発電所は動き続けている。「私らは侮辱のなかに生きています。」過去を描くことは未来を語ることと同義だ。日本は「3・11」を境に大きく変わってしまったが、「3・11」の前から、それは始まっていたのだ。「3・11」は引き金にすぎない。地盤が揺らぎ、銃は放たれたのだ。そこに自らの「小説」と「人生」とが重なり、オーケストラのような重奏感が生まれる。この光の輪郭は、「希望」なのだろうか。ぼくは、そっと目を閉じて祈った。2020/08/29
タイコウチ
8
震災後に書かれた「最後の小説」で、ノーベル賞受賞後にもう書かないといってから『取り替え子』で始まった長江古義人シリーズの締めくくりでもある。これまでの作品の様々なモチーフが再訪されるとともに、自分が作品の中で一方的に描いてきた妹、妻、娘らから反論・反撃される(という自分の姿を自虐的ユーモアに包んで描いている)という多声的・多層的な構成。実は『取り替え子』に続く『憂い顔の童子』と『さようなら、私の本よ!』の2冊は文庫が入手できず未読なのだが、大江健三郎という作家の最後の小説として納得のいく見事な作品だった。2023/05/31
井蛙
4
大江の小説には《溺死しかけたところを母親に救われる》という原体験が何度も描かれるけど、実は彼を救ったのは母親じゃなくて妹だったっていう結構重要なことかさらっと書かれていたりする。その点も含めて、この作品では初めて著者が彼の書いてきた人や物事から正面きっての批判を浴びせられている。それらにはすでに死んだ人間を語りうるのは生きている人間だけであって、その特権的な地位に与っていた著者の生命がもはや僅かしかないという焦りもあるだろう。その中で詩人に憧れ続けた著者は祈りにも似た一連の詩で掉尾を飾るのだが、それより→2019/09/14