講談社学術文庫<br> デカルト哲学

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講談社学術文庫
デカルト哲学

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  • サイズ 文庫判/ページ数 232p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062922319
  • NDC分類 135.2
  • Cコード C0110

出版社内容情報

「我思う故に我在り」の哲学者は現代社会の課題にも響く「哲学の王道」を語っていた。繊細な読みで、デカルト哲学の魅力を描ききる。デカルトといえば、「我思う故に我在り」。西洋近代哲学の生みの親、というのが通り相場です。とにかくすべてのものを疑ってみる。いかにもありそうなものも、じつは私が邪悪な神によってそう思い込まされているだけかもしれない。この徹底的な懐疑(=方法的懐疑)によっても、どうしても疑いえないものがある。それは、今そう考えている私は存在するということだ。おおざっぱにいえば、これが「我思う、ゆえにわれあり」で、これがたしかに近代哲学の出発点になりました。
しかし、デカルト哲学の魅力は、そのような教科書的な知識にあるのではない。
著者は、主著『省察』を中心に丁寧に読み解きながら、デカルトの思考の意味を析出していきます。そこには、世俗道徳を脱し、最高善を求める、孤高の哲学者のすがたが浮き上がってきます。
戦争、宗教、病気といった、きわめて今日的な課題も、おのずからデカルト哲学の思索と重なり合っていく。そのあざやかな展開は、まさに、哲学をすることの最良の果実といえます。

序章 思想を捨てる
第一章 離脱道徳――精神的生活と世俗的生活
第二章 懐疑――世俗的生活からの脱落
第三章 死にゆく者の独我論
第四章 哲学者の神
第五章 最高善と共通善――善く生きること
終章 魂の不死、私の死


小泉 義之[コイズミ ヨシユキ]
著・文・その他

内容説明

我思う故に我在り。―この有名な文で知られるデカルトは、彼以前なら「魂」と言われ、以後ならば「主観」と言われるところを「私」と語ることによって、画期的な哲学を切りひらいた。あらゆる世俗の思想を根こそぎにし、その独我論から「賢者の倫理」に至ろうとしたデカルト哲学をスリリングに読み直し、現代的課題とも切り結ぶ、醍醐味あふれる一冊。

目次

序章 思想を捨てる
第1章 離脱道徳―精神的生活と世俗的生活
第2章 懐疑―世俗的生活からの脱落
第3章 死にゆく者の独我論
第4章 哲学者の神
第5章 最高善と共通善―宗教の可能性
第6章 賢者の現存―善く生きること
終章 魂の不死、私の死

著者等紹介

小泉義之[コイズミヨシユキ]
1954年札幌市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学。現在、立命館大学教授。専攻は、哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

白義

17
デカルトの「我」を死にゆく者がそれでも絞り出す我として、一見全ての自由を奪われた囚人の、病人の最後にして唯一絶対の自由として称揚し、他のいかなる自由や善よりもその自らの精神を享受すること自体が究極の自由にして善であると高らかに謳い上げた、デカルト哲学の倫理的可能性を限界まで切り開こうとする名著。デカルトの伝記的事実に、テクストに忠実に寄り添い書いているにも関わらず、本書がデカルトの客観的な解説書と思うものはまずいないだろう。恐らく本書は生前のデカルトの意志すら無視して自らの問いを彼とともに貫こうとしている2017/05/28

またの名

10
体力も時間も金も発言能力も活字を追う能力もないので公的討論のテーマをつかみ損ねるし、場にそぐわない的外れな話をしてしまう病者や貧者。哲学的問題としてどちらかを助けるしかないと仮定される複数の命。はっきり言ってデカルトを法外に逸脱した現代思想寄りの読解を衝き動かすのは、そんな風に誰もが排除と犠牲に加担し死者を喰らって生きている現実から目を背けたり殊更に向けさせたりする状況を許すすべての思想を根こそぎにする倫理。懐疑によって近代を創始した権威の象徴とも見えるデカルトが、あらゆる下劣をなぎ払う為の武器に変わる。2016/07/07

有沢翔治@文芸同人誌配布中

6
小泉さんの言いたいことは解る。だけどデカルトを持ち出さなくても言えるどころか、デカルトと全く関係なような。強引に引き寄せた感じが否めない。http://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/50218922.html2017/04/29

セツコ

1
著者のデカルトへの熱量に時に少し慄きつつも読了。「人間の主要な部分は精神であって、人間は知恵の探究にこそ配慮しなければならない。そしてこの知恵が、精神の真実の食物であり…最高善である」知恵が精神の真実の食物…。これは現代社会で忘れられてしまっていることではないだろうか。「良く」生きようとするあまり、誰も知恵に見向きもしなくなっている気がする。精神に知恵を与え育てること、つまり、本を読んだり経験したりしながら考えることが楽しみを感じやすくさせ、結果として「善く」生きることへもつながるのではないかと思う。2022/10/21

まつゆう

1
「私」が動き、意識し、作用するというその力能そのものを存在の根拠として、全面的に肯定すること、喜ばしいと認めること、そして実際にそのような生き方をしている賢者がいることを認めること。デカルトの哲学をここまで自家薬籠のものにした本にはなかなかお目にかかれない。このような哲学、そしてそこから紡ぎだせる倫理で何ができるか。狡い市民的な倫理を「根こそぎ」否定することはできようが、そこが問題なのではない。更に賢者から学ばなければ。2014/07/08

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