出版社内容情報
「我思う故に我在り」の哲学者は現代社会の課題にも響く「哲学の王道」を語っていた。繊細な読みで、デカルト哲学の魅力を描ききる。デカルトといえば、「我思う故に我在り」。西洋近代哲学の生みの親、というのが通り相場です。とにかくすべてのものを疑ってみる。いかにもありそうなものも、じつは私が邪悪な神によってそう思い込まされているだけかもしれない。この徹底的な懐疑(=方法的懐疑)によっても、どうしても疑いえないものがある。それは、今そう考えている私は存在するということだ。おおざっぱにいえば、これが「我思う、ゆえにわれあり」で、これがたしかに近代哲学の出発点になりました。
しかし、デカルト哲学の魅力は、そのような教科書的な知識にあるのではない。
著者は、主著『省察』を中心に丁寧に読み解きながら、デカルトの思考の意味を析出していきます。そこには、世俗道徳を脱し、最高善を求める、孤高の哲学者のすがたが浮き上がってきます。
戦争、宗教、病気といった、きわめて今日的な課題も、おのずからデカルト哲学の思索と重なり合っていく。そのあざやかな展開は、まさに、哲学をすることの最良の果実といえます。
序章 思想を捨てる
第一章 離脱道徳――精神的生活と世俗的生活
第二章 懐疑――世俗的生活からの脱落
第三章 死にゆく者の独我論
第四章 哲学者の神
第五章 最高善と共通善――善く生きること
終章 魂の不死、私の死
小泉 義之[コイズミ ヨシユキ]
著・文・その他
内容説明
我思う故に我在り。―この有名な文で知られるデカルトは、彼以前なら「魂」と言われ、以後ならば「主観」と言われるところを「私」と語ることによって、画期的な哲学を切りひらいた。あらゆる世俗の思想を根こそぎにし、その独我論から「賢者の倫理」に至ろうとしたデカルト哲学をスリリングに読み直し、現代的課題とも切り結ぶ、醍醐味あふれる一冊。
目次
序章 思想を捨てる
第1章 離脱道徳―精神的生活と世俗的生活
第2章 懐疑―世俗的生活からの脱落
第3章 死にゆく者の独我論
第4章 哲学者の神
第5章 最高善と共通善―宗教の可能性
第6章 賢者の現存―善く生きること
終章 魂の不死、私の死
著者等紹介
小泉義之[コイズミヨシユキ]
1954年札幌市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学。現在、立命館大学教授。専攻は、哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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白義
またの名
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