内容説明
1937年冬、南京。激しい攻防戦の後、街は日本軍によって占領された。荒廃した南京での中国人を救おうと奔走し「南京のシンドラー」と呼ばれたドイツ人の日記が、歴史の封印を解かれた。「大虐殺」と「まぼろし」の間を揺れ動いてきた論争に絶大な影響を与えた、中立の第三者が記録した「南京事件」の真相。
目次
迫りくる砲声―1937年9月21日~11月18日
南京安全区国際委員会の結成―1937年11月19日~12月11日
日本軍入城/残虐行為のはじまり―1937年12月12日~12月30日
荒城の新年―1937年12月31日~1938年1月12日
荒廃する南京―1938年1月13日~2月5日
南京との訣別―1938年2月6日~4月15日帰国後のラーベ
ヒトラーとラーベ
ヒトラーへの上申書
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かおりんご
5
南京陥落時にいた、ドイツ人の日記。日本人でも、中国人でもない視点で書かれているので信憑性はあるのかな?大虐殺というほどの数ではないが、野蛮な行為はあったとされる。うーん、だんだん何が真実か分からなくなってきた。2012/08/11
Alcazar
0
当事者であり第三者であるドイツ人ナチ党員ラーベ氏の日記はまごうことなき真実。日本にとっての第二次世界大戦のイメージ、沖縄、原爆の次に浮かんでほしいのがこれ。蛇足、本にあるラーベの館は南京中心地の喧騒の中にひっそりとあります
くわずいも
0
日中戦争時、日本軍が南京を陥落後もナチ党員ジョン・ラーベを筆頭に数人の外国人が数万人もの中国市民をかくまい、虐殺や暴行から守り続けた事実が分かる一冊。ラーベの日記なんだけど、日本軍の中国人を人とも思わないあらゆる行為に、読んでて気分が非常に悪くなった。でも、知っとかないとね。日中間では虐殺数の桁が違うけど、やったという事実は覆せない。2011/11/10
丰
0
20090915
upi2003
0
南京大虐殺・・・やっぱりあったんでしょうね・・・勉強になりました2007/12/20