講談社選書メチエ
潜伏キリシタン―江戸時代の禁教政策と民衆

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  • サイズ B6判/ページ数 254p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062585774
  • NDC分類 198.221
  • Cコード C0321

出版社内容情報

キリシタンとはそもそも何か。近世の「宗教弾圧」と「近代の解放」を再考し、民衆宗教の実態を検証。「隠れ切支丹」の虚像を覆す。

幕藩体制下の禁教政策により、厳しく弾圧されてきたキリスト教徒=キリシタンは、江戸幕府が倒れ、明治新政府下では信仰の自由が認められ、解放された――。一般にこのように思われている「日本社会の近代化」は、歴史の真実といえるだろうか。そもそも、「キリシタン」とは何なのか。従来のような「ひとつの村が、近世初期から明治まで、ひたすら信仰を守り続けた隠れキリシタン」といった平板な理解に再考を促す。
例えば、非キリシタンであったにもかかわらず、領主の苛政への反発から一揆を起こした民衆を「切支丹」として弾圧した事例や、一方で、藩内のキリシタンの存在を隠すために、問題行動を起こさないキリシタン百姓を藩が黙認していた事例、また、キリスト教とはかけ離れた民間信仰でありながら「切支丹」とされた事例などを取り上げる。これらの事例を見ていくと、西欧語の訳語である「宗教」の名で人々の信仰が管理・統制されるようになった近代が、近世よりも解放されているとはいいきれないという。
「キリシタン」をめぐる宗教政策の変化と実態を丹念に探り、近世における宗教観、歴史と宗教のかかわりに新しい視野を提供する。

序章 キリシタンを見る視座
第一章 「伴天連門徒」から「切支丹」へ
1 キリシタンの登場と近世日本の統一権力
2 「伴天連門徒」という認識
3 島原天草一揆の性格
4 宗門改制度の成立
5 踏絵の二面性

第二章 「異宗」「異法」「切支丹」
1 異端的宗教活動への規制
2 浦上崩れと天草崩れ
3 異端的宗教活動という枠組み

第三章 島原天草一揆と「切支丹」の記憶
1 近世社会における異端の象徴
2 「切支丹」イメージの貧困化
3 近世社会を相対化する手段

第四章 異端的宗教活動から「切支丹」への転回
1 「切支丹」の登場
2 「切支丹」たちの人生
3 京阪「切支丹」一件の位置

第五章 信仰共同体と生活共同体
1 潜伏キリシタンの信仰共同体
2 潜伏キリシタンの生活共同体――天草の場合
3 潜伏キリシタンの生活共同体――浦上の場合
4 属性の重層性

第六章 重層する属性と秩序意識
1 キリシタン禁制と「仁政」
2 信仰隠匿から信仰表明への転回
3 村社会における宗教的確執
4 キリスト教は解禁されたか

終章 宗教は解放されたか?

【著者紹介】
1964年、新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院文学研究科史学(日本史)専攻博士課程後期課程満期退学。一橋大学非常勤講師、聖心女子大学非常勤講師を経て、現在、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。博士(文学)。専門は日本近世史。著書に、『キリシタン民衆史の研究』(東京堂出版)、『検証 島原天草一揆』(吉川弘文館)などがある。

内容説明

江戸幕府によって厳しく弾圧されたキリシタンたちは、その強靱な信仰心だけで、幕末まで潜伏し得たのだろうか?「異宗」「異法」と位置づけられながらも勤勉な百姓として生きた潜伏キリシタンとは対照的に、邪教として処罰された「切支丹」とは何か?島原天草一揆の凄絶な記憶、「浦上崩れ」や京坂「切支丹」一件などを通して変化する幕府のキリシタン禁制と、民衆信仰の実態を検証。時代と宗教の関わりに新たな視野を拓く意欲作。

目次

序章 キリシタンを見る視座
第1章 「伴天連門徒」から「切支丹」へ
第2章 「異宗」「異法」「切支丹」
第3章 島原天草一揆と「切支丹」の記憶
第4章 異端的宗教活動から「切支丹」への転回
第5章 信仰共同体と生活共同体
第6章 重層する属性と秩序意識
終章 宗教は解放されたか?

著者等紹介

大橋幸泰[オオハシユキヒロ]
1964年、新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学大学院文学研究科史学(日本史)専攻博士後期課程満期退学。武蔵高等学校・中学校教諭を経て、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。博士(文学)。専門は日本近世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

それいゆ

42
潜伏キリシタンを徹底的に探し出し処刑するよりも、その宗教活動をそのままの状態にして波風立たせないようにすることが村社会の秩序や繁栄を維持することになるという考えは、私もそう思います。宣教師がいない状態で潜伏キリシタンが信仰を持続していくことは無理です。いつの間にか自分たちの信仰は、本来のキリスト教とは違う別の宗教に変化していったと推測されます。2014/06/29

奏市

17
キリスト教禁教政策について多くを学べた。江戸末期には大村藩・長崎奉行ともキリシタンが存在する事を確証持ちながら、秩序優先(百姓経営維持)のため表面化させず(幕府に報告せず)黙認していたようだ。明治6年のキリシタン禁制の高札撤去は、単に法令伝達方法の変更であってキリシタン禁制に変更はないとの政府見解の方便が成り立つというのも初めて知った。潜伏キリシタンの宗教面での具体的内容についてはあまり多くは記述ないので、他の書で勉強したい。天草四郎が生前に限らず死後にも良くも悪くも存在感絶大だったのが印象に残った。2020/05/10

ナハチガル

10
最初と最後が面白く、著者の考え方や視点には共感できるのだが、キリシタンについて無知な者としては議論がつっこみすぎているように感じた。これはもちろん、とりあえずキリシタン関係の本を読もうと思って図書館でこの本を手にとってしまった私の判断ミスである。キリシタンについての内容よりも、さまざまな資料から近世の人びとの世界観や価値観、思惑を丁寧に浮かび上がらせる記述が興味深かった。「現代人が歴史上もっとも解放されているとはとてもいえない」という指摘には納得。B++。2018/05/28

magic makky

9
【感想】キリシタンの弾圧は、宣教師だけのものからだんだん変化したという認識はなかったから、歴史をしっかり振り返って解説していただいた。初期の頃は、奉行所も百姓をキチッとこなして寺請制度を守り年貢を納めてくれれば良しとしていた。それは村の中でキリシタンと非キリシタンが仲良くやっているからだったが、明治になってからは、キリシタンと非キリシタンのとの諍いがあちこちで顕著になっていく。この差はなんなのか?何故なのか?このことを考えていくことが、もしかしたら世界平和のヒントがありそうな気がしてきた。2020/06/27

月をみるもの

7
「かつて尊皇攘夷運動の活動家であった政府内の保守派は「神道が国教である(神道国教化)以上、異国の宗教を排除するのは当然である」、「キリスト教を解禁してもただちに欧米が条約改正には応じるとは思えない」とキリスト教への反発を隠さず、禁教令撤廃に強硬に反対し、また長年キリスト教を「邪宗門」と信じてきた一般民衆の間からもキリスト教への恐怖から解禁に反対する声が上がったため、日本政府は一切解禁しようとしなかった。」2017/12/02

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