出版社内容情報
三浦 雅士[ミウラ マサシ]
著・文・その他
内容説明
〈私〉をつくりだす源に、何があるのだろうか。泣きかた、笑いかた、行進、舞踏など人間の表情や動作に立ちむかい、身体へのまなざしの変容こそが、近代の起点であることを検証する。
目次
第1章 亀裂
第2章 加工
第3章 表情
第4章 動作
第5章 軍隊
第6章 体育
第7章 舞踊
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
らじとり
8
人はみな裸で生まれてくるものの、その身体は生まれ落ちた瞬間すでに所属する場所・時代によって濃密な文化的意味を帯びてしまう。近代の成立とともに真っさらでニュートラルな身体(零度の身体)という観念が成立する過程を描いた本。零度の身体てのは美術館のホワイトキューブみたいなものなのかな。纏足、コルセット、パールバック、三四郎、軍事教練、器械体操、ナンバ歩き、フォーサイス…と話題が非常に幅広く、身体への関心、といういまの自分にとっての課題を大きな文脈のなかに置くことができ、すこし視野が開けたように思う。2016/06/29
暁人
6
西洋と東洋の比較を通じてなされた文化的、思想的な身体論。▼かつて身体には様々なタブーがあった。夜爪を切るな……など、なぜそれがあったのか不明のものも多数存在した。だが今は合理的な解釈しか身体にはなされず、過剰な意味の場としての身体は科学の進歩とともに消えていった。▼文化・思想史として多様な事例が紹介されているため、身体を巡る当時の人々の考えが伝わってくる。舞踊に関する話が最も印象に残った。2015/02/10
氷柱
5
996作目。7月30日から。身体に施されて来たことの文化性から人類の進展を読み解くといった作品。どこからが動物の部分で、どこからが道具なのか。非常に興味深いが言及されている範疇が広すぎてスッと解釈できるものではない。先天的な思想、後天的に獲得したものの、そういった関連にひとつずつ陽が当てられていく。2023/08/02
ここ
5
原因と結果を逆説的に、身体という素材を座標軸に据えて人間と社会の近代化の過程を論じた好著。 加工による自他の確立、視線と身体の相互においての価値観の変容、各国文化の舞踊の民族性と生活態様における身体所作の造形、原初生産性の変化と均一化が体操とスポーツの始まりとなったことなどなど、どこをとっても見どころがあり面白い。後半に書かれたバレエの歴史と推移において、近代化を終えて再び迎えた「0」という到達点の、その深度を追求していく哲学的な試みなども、自分のような全く無知な読者の心をも震わさずにはおれない。2022/02/20
tsubomi
3
2015.06.04-07.28:人間は「身体の零度」を基点とした座標空間の中で自己や他者や社会・組織を表現しているという論点で人類の身体について考察した一冊。農耕民的身体と遊牧騎馬民的身体とが舞踊を楽しんだ古代から、産業民的身体が軍隊や学校体育や工場やオリンピックに利用されるだけの物体と堕した近代、舞踊が再評価されている現代。ねぶたの跳人は農耕民と遊牧騎馬民の中間的身体表現だろうというのがとても面白かったです。舞踊の意義深さを実感。そして古くからの舞踊のよさを維持してくれたロシアの大地に乾杯。2015/07/28