内容説明
柄谷は、コミュニケーション=交換を、共同体(制度)のなかにおいてでなく、共同体と共同体の《間》に見ようとする。すなわち、なんら規則を共有しない《他者》との非対称的な関係に、コミュニケーション=交換の基底を見出している。規則が共有される共同体の内部では、私と他者は対称的な関係にあり、したがって私と他者の対話は、自己対話(モノローグ)にすぎない。柄谷は、これに対して「態度の変更」を敢行する。それは《他者》と向かいあう関係においてものをみることだ。この「態度の変更」は、彼自身のこれまでの仕事に対する転回であると同時に、あらゆる知の領域に転回をせまるだろう。『探究』は、柄谷行人の代表的な仕事となるだろう。
目次
第1章 他者とはなにか
第2章 話す主体
第3章 命がけの飛躍
第4章 世界の境界
第5章 他者と分裂病
第6章 売る立場
第7章 蓄積と信用―他者からの逃走
第8章 教えることと語ること
第9章 家族的類似性
第10章 キルケゴールとウィトゲンシュタイン
第11章 無限としての他者
第12章 対話とイロニー
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
1
再読。やっぱり、読みやすい。『探求Ⅱ』はこれを逆立ちさせている場所から話を始めている。『探究Ⅱ』の方が議論が錯綜していて難解に思うのだけど、こちらは見通しがクリア。ウィトゲンシュタインの「教える-学ぶ」(「言語ゲーム」)をベースにして、マルクスの価値形態論、キルケゴールの「他者」論など横滑りさせながら、とにかく「独我論」(=「超越論的主観」)を回避しながら如何に「外部」に到達させるのかそれについてひたすら書いている。2017/05/11
amanon
1
二十数年ぶりに再読。当時、変に勘違いしてわかったような気になり、知的気分に浸っていたという事実に赤面するくらい難解な代物だった。一体何をわかっていたというのだろう?ただ、難解というだけでなく、マルクスやヴィトゲンシュタインなどの思想家に対する著者の解釈がユニークというか、時としてアクロバティックでさえあるのも、理解しづらい要因だろう。また、改めて読み返してみると一貫した流れがあると思っていた各章の繋がりが、実はそれ程堅固なものではなかったということに気づかされた。そのゆえに更なる深読みが可能かも?2016/05/31
放蕩息子
1
再読2013/03/31
5
0
泣きながら読んだ。
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- 和書
- 明治期民事裁判の近代化